タで、そしてヘタを気取るのは今にはじまったことではないから、そのことから今特別の刺戟を受けたりはしない。私の考えたのは、それとはチョットちがったことである。それはこうだ。
この三篇を「小説」と言われても、別に私に反対すべき理由はない。雑誌の小説欄に組んであるから小説なんだろうと言ったふうのシマリのない気持で私は雑誌小説を読んでいる者だから、どんなに小説らしくない物を読まされても、たいがいびっくりはしない。やあヘンテコな小説だなあと思って過ぎてしまう。
この三篇を読みおえた後でも、なんだかわかったようなわからんような、おかしな小説だと思い、そのわからなさ加減が私に不愉快であったが、それはそれとしてそれ以外に、またそれ以上に、三篇とも小説として何か異様に欠けているものがあるのを感じた。しかも、かなり重要なものが欠けている。その欠けかたまたは欠けた理由または原因として私に考えられたものの中に問題があると思われた。
第一に、中野は作家であるよりも芸術理論家ではあるまいかという彼についてかねて私の抱いていた見方を、もっとハッキリと強くしたこと。というのは、この三篇の中で中野は、芸術理論を展
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