心しなかった。感心しなかったものについて物を言っても、しかたがないと思っていた。ところが、先日何かのキッカケで、右の三篇の小説のことをかためて一度に思い返して見る機会があった。すると、そこにおもしろい問題がいくつかあることに気づいた。そこで右の三篇の一つ一つを、もう一度読みなおして見た。
「よごれた汽車」は、青森から東北へ走っている夜汽車内の短いスケッチである。引揚者やそうでない老若男女の姿と会話が点描してある。「吉野さん」はそれよりもいくらか長い作品で、戦争中に「わたし」が知り合いになった、一風変ったおもしろい気骨を持ち、英詩を作る老自由主義者のことが書いている。淡々と記録風な書き方がしてある。「夜と日のくれ」は、ちかごろの郊外の夜道が物騒なことをつとめ人の兄が同じく働きに出ている妹の身の上を案じる形で描いたもので、これまたごく短いものだ。
 三つとも、うわついた書き方はしてない。カタギなものだ。しかしヘタな小説だ。それがただのヘタではない。ヘタを気取っているので、読んでいると実に妙な気持になるヘタさだ。しかしそれだけならば、かくべつ新しいことではない。中野が小説を書くのにカタギでヘ
前へ 次へ
全274ページ中254ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング