ろうか? それも、わからないことはないような気もする。しかし、よしそれが差し当り仕方のないことであったとしても、われわれはそれに抵抗し、そして克服するための努力を捨てるわけには行かないであろう。つまり、冷たく散大した、気味の悪い、そしてまったく荒蕪な「神の視覚」を拒否することをである。それが「小説」を自己崩壊に導くものであるならば、にわかにそうはできないという考え方もあろう。しかし、事実は逆だ。十九世紀以来の小説の歴史は、それ自体として「神の視覚」を拒否して人間の視覚に近づこうとする歴史であったし、現に小説の地盤が人間の視覚に立てば立つほど、小説は人間にとってより興味あるものになり、より喜ばしいものになり、より有用なものになって来つつあるのである。
[#改ページ]

ぼろ市の散歩者 ※[#ローマ数字2、1−13−22]



「よごれた汽車」――中野重治(「人間」十月号)
「吉野さん」――同人(「中央公論」十月文芸特集号)
「夜と日のくれ」――同人(掲載誌を忘れた)
 この二、三カ月の間に右の三篇の中野重治の小説を読んだ。わざわざではなく、自然に目にふるるにしたがって読んだ。どれにも感
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