最も高度に燃えて来る対象を描くことである。物理的な意味での自分であるか他人であるかは問題でない。自分にとって最も重大であり、最も興味の持てるものでさえあるならば、たとえ一匹の蚊のことを書いても、作家はその中で結局は自我の問題を解決して行くことが出来るし、解決して行かざるを得ない。そして広津にとってこの作中のひさその他の人物たちは、実はどうでもよい人間たちではないだろうか? 極端に言えば作者にとって死のうが生きようがどうでもよい人間ではないだろうか? すくなくともこの作品でとらえられているかぎりでは、そうとしか私には見えない。
 そして、そのことがこの作家の中に、良いことを何一つ引起していないのである。それはただ、古さを引起している。その古さは、一般的にも古いと同時に、実は広津自身が到達している地点から言っても古いのである。しかもさらに、彼の感覚を鈍化させるにも、あずかって力のある古さである。どんな理由で彼がこんな習慣に固執するのか私にはまったくわからない。広津ほどの鋭い頭と永い経験をもってしても、これはどうにもならないことだろうか? 芸術というものが、そんなふうに人をしてしまうものであ
前へ 次へ
全274ページ中252ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング