同仁に軽蔑し憎み断罪していることだ。つまり「天に在って」下界に対しては平等に冷淡なのである。作者自身の人間的な「我」は、どこで呼吸しているかわからない。「てめえの料簡」がその時どうなっているかわからないのである。「自然主義的鉄のカーテン」である。十九世紀文学が築きあげたところの「偉大にして、散大してしまった視覚」である。その最大の実現者としてモーパッサンがいる。彼はすぐれた小説を書いた。そしてそれらの小説の中で彼自身の自我にとって重要なことを処理しようとしなかった。処理することを欲しなかった。そのため彼の自我の問題――宗教上の信仰からジフリスに至るピンからキリまでの自我の問題は、全部おいてけぼりを食い、ゴミのように彼のうちに溜って腐りはじめた。その毒気にあてられて彼は死んだ。モーパッサンを殺したものが、単純なジフリスや過労や過敏であるとは私は信じられない。ホントは、それらをも含めたところの、解決されざる自我の問題の蓄積の腐毒にあてられて死んだと思う。そして、モーパッサン式の自然主義的文学方法は、そのような意味で、すべての作者を殺す。死なないでいる自然主義作家は、症状が初期であるか、自然
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