悪いか私は知らないし、また、善い悪いを言って見てもしかたがない。ただ、とにかく、全体の構成も部分々々の切りこみ方も、それから文脈も、文章もそれらのテンポも、それから、ひさ夫婦と加代子夫婦の対位法風の処理のしかたも、古い。それが私のセンスに抵抗を感じさせる。「時代」を感じさせる。小説は文芸の中で一番今日的なセンスのものであろうし、ありたがる形式だ。今日的センス(私のセンスが百パーセント今日的なものであると独断しようと言うのではない。しかしこれは説明する機が来るまでそのままにしておく)に無益に抵抗する古さは、小説として長所とは言えまい。しかし、古さがそれだけならば、多分、この作品の決定的な弱点にはならないだろう。困るのは、その古さが、もっと根本的なものにつながって生まれて来ている点にある。それが、つまり、作品の中での作者の自我の位置のことだ。
作品と作者の自我の関係と言ってもよい。それが古いのである。そしてこの場合の古さは、私から言うと、まちがった古さなのである。
作者は、神の如く「下界を見おろして」書いている。神は下界の人間たちを一視同仁にあわれみ、愛し、許しているということは、一視
前へ
次へ
全274ページ中248ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング