るように見えたということを或る人が書いていた。いくらか、あの話を思い出させる。広津のノミの切れ味は鈍い。速度も遅い。したがって我々が期待するような鋭さや速さでは人間像は浮び上って来ない。歯がゆいようにノロノロとそれらは筆の先から出て来る。しかし確かに出て来るのだ。それはそこに在るのだ。生きた人間がそこにいる。この実在感は疑いようがない。何はなくともこれさえあれば小説家として欠けるところはないとも言える。これさえあれば、ホントの意味では下手だとは言えないし、下手だと言われて、さしつかえない。しかし、
「その上に人生で羞恥心などといふものは疾くの昔に何処かに置き忘れて来てしまったような梶野は、隣室などには何の遠慮もなく破廉恥に振舞はうとする。それがひさには何より厭であった。」
 と言ったようなネボケタ抽象的な叙述で、この女の相手の男に対する性的嫌悪ならびに隣室に対する気持の抵抗などのジカな実感を読者に与え得ると作者は思っているのだろうか? 部分々々でジカな実感を読者に与えないことを作者が何かの目的のために意識して意図しているのであったら、これはこれでよいとも言える。しかし、この作品でこの作
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