を得ないかと言ったことがある。「ひさとその女友達」は下手な小説ではない。私は非常に嬉しい気持で私の言葉を撤回する。いやいや、そうではない。下手は相変らず下手だ。それでいてこの作品がよい小説であることをさまたげていない。下手な小説がよい小説と言えるであろうか?
そうなのだ。言葉のそのような使い方に私自身がひっかかっているのだ。いや、言葉というもの自体が、このように人をひっかけるものなのだ。世の中には「ヒョットコ面の好男子」も存在している。「下手な、よい小説」があって悪いわけはなかろう。ただそれには説明を要する。実は先に広津の小説が下手クソだと言いきった私の言葉の中にもこの意味が含まれていなかったわけではない。そのことを此処でもうすこしくわしく述べ、あわせて話をもうすこし前へ進めて見る。
最初に打たれたのは、この小説の持っている実在感である。最後までそれは非常に力強く確かな形で持続する。女給上りのひさという中年女が、その人の好い平凡な――アヴェレヂな日本人大衆の中の一人の女として戦争中から戦後をウロウロと生きて来て、現在梶野というぐうたらな男を相手に暮している姿。生活に対して相当勘定高
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