かるまいが、そんなことは私の知ったことではない。
だから、私は、その時その時に、過去三、四ヵ月の間に私が自然に読み過ぎて来た作品の中で、とくに私の注意を引いた作品を論評する。論評と言っても、かならずしも作の是非を言い立てたり、価値を上下しようと言うのではない。私という一人の人間が、それらの作品をどんなふうに読んだか、読みながら何を感じたか、読みおわって何を考えたか、と言ったふうのことをのべる。
一貫して私が守りたいと思うのは、あくまで作品自体に添ってものを言うという方式だけである。
「ひさとその女友達」――広津和郎(『中央公論』十月文芸特集号)
広津和郎が久しぶりに書いた(久しぶりではないかも知れないが、私の目に触れたものとしては久しぶりであった)この小説の題名と名前を見た時には、大変嬉しかった。誇張して言えば胸がすこしドキドキしたくらいである。期待と危惧が半々に入れまじっていた。「よい小説であってくれ」という気持と「どうせまた下手クソだろう」という気持が入れまじっていた。そして読んだ。
しばらく前に私は広津の大概の小説が下手クソであり、そして何故下手クソな小説を彼が書かざる
前へ
次へ
全274ページ中243ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング