あまりしないが、そういう所を歩いて行くのが好きなのである。われながら、かしこい人間のすることではないと思いつつ、フラフラにくたびれるまで歩く。
今の日本の文芸界の景色は、ボロ市の景色に非常に似て来た。中味も似て来たようだ。それぞれ何かの役にすこしずつ立つところの安直な品物がおびただしく並んで、にぎやかなことである。見わたしてみると、腰をすえてシッカリと作品を書いている者はほとんどいないのではないかと思われる。
なんにしろ、市が栄えるのはおめでたいわけである。こういう所を歩いて行くのが私は大好きだ。もっとも、品物は、たいがい買わない。
この誌面にしばらくの間、私は文芸時評みたいなものを書きつづける予定だが、これは月評にはならないだろう。毎月の雑誌の上に陳列されるおびただしい数の作品に向って、一月々々を単位にして私の注意力をキン張させていると、首の骨や腰の骨を痛める恐れがある。私は作家だ。批評家風のリューマチや神経痛を起すには、まだすこし、早過ぎる。
ボロ市を歩くには、歩きかたがある。見るような見ないようなふうにして歩くことだ。もちろん、そんな歩きかたをしていたのでは、掘出物は見つ
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