順一とか小田切秀雄とか杉浦明平とか。ほかにもまだたくさんおりますが、左翼的な批評家たちの批評も、たいがい、丹念で立派なものですが、私にはつまりません。興味は主として批評が対象にしている素材と、ものの言い方の中にあるペッパアの利鈍に感じられるだけです。つまり、尺度が適用される物と、適用のされ方に多少の興味があるだけで、尺度そのものは一定しているからです。もちろん、だからまた、批評の職能の一つである指南力に欠けたところはありません。針はいつでも南を指します。クソおもしろくもないとも言えるのと同時に、これについて行く気になってついて行きさえすればまちがいがないから、安心しておれるとも言えるわけ。批評する方でもその限りでは安心と自信をもってやれるわけです。しかし、いったんその尺度自身に疑念を持ちはじめると、非常にめんどうな事になってきて、批評はチョットわきにやって尺度そのものを調べて見ようという事になります。そしてそれがまた、たいへんな仕事で、チョットやソットではキリがつかない。残るところは、こいつをウのみにするか、敬遠するかの二途しかないと思わざるを得ない位にめんどうな事になります。それに、
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