り読者の身にもなって批評文を書いたらどうだろうと思うのです。これは、文章の書き方や文字の使い方だけのことではありません。書かれている内容自体についても言えます。すこしは、人の身にもなって考えたらよい。人と言うのは、現に生きている隣人のことです。この地方の人たちのことです。この民族のことです。この国民のことです。この時代人のことです。つまり、この社会と世界のたくさんの人間のことなんです。これらの人間たちと共に苦しみや楽しみをわかち合い、それと共に生きるために彼等に向って話しかけようと言うのに、批評家たちは、なぜに好んで難解な「方言」を使うのでしょうか? パンパンでさえも自分の身体を「社会的」に使いたいと思う時には、「ハロウ!」と言うではありませんか。中には無知や病気のために、難解な物の言い方をする批評家もいるでしょう。しかし、中には、このたくさんの人間たちと共に苦しみと楽しみをわかち合い、それと共に生きるために彼等に向って話しかけるという意志や欲望――(すなわち、批評家が何よりも先に持っていなければならぬ社会的パトス)の欠如から、難解癖を起している批評家もいるようです。
そうなのです。
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