ようには見えません。その証拠を一つ二つあげてみます。
と言っても、めんどうな証拠ではありません。私はめんどうなことはきらいです。たとえば、或る人がどの位にえらいかという事を知るのに、私はその人がえらそうな顔をしたり、えらそうなヒゲをはやしたり、えらそうな姿勢をしたり、えらそうな言葉を言ったり書いたりした事をよりどころには、あまりしません。それよりも、その人が他とむすんだ約束をどの程度まで守ったかというのを標準にします。約束を守る程度に正比例してその人はえらい、立派な人間です。これには絶対にまちがいありません。すくなくとも、私においてこの標準は一度も狂いませんでした。私は、たいがい此の式です。
で日本の批評家たちが、あまり上等でない証拠の第一は、彼等の書く批評文が、ちかごろ、むやみやたらに、むづかしくなっているという事がらの中にあります。普通の人に読んですぐわかる批評文を書いているのは、青野季吉と正宗白鳥と渡辺一夫ぐらいで、他はたいがい、いけない。語られている事がら自体がむづかしい場合に、それの表現が或る程度までむづかしくなる事は、やむを得ません。相対性原理をタシザンとヒキザンだけで
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