順序を踏んで自然に味到しようという態度がある。往々にして、そのタブロウは、彼の「ツクネいも」の絵よりも出来が悪いけれど、しかし、そこにホントの芸術家の態度がある。それが、絵を描きだして、はじめて彼のうちに生れた――つまり、絵を描くに至ってはじめて彼は芸術家になった――と私は見る。カンバスを五千八百九枚あてがっても、彼はもうその全部に塗りたくりはしないであろう。それが、彼自身にとってもわれわれにとっても、喜ぶべき事であるか悲しむべき事であるか、わからない。実に、それは、わからない。ただ、もう、後がえりはできまい。また、後がえりは、してもらいたくない。
 なぜかというと、論理と構築と進化とが、多少ずつでも彼のうちに生きてくれば、「すべての事は、それぞれそのままの意義と姿において、ほむべきかな」と言ったふうの――敵も味方もいっしょくたにして肯定してしまうところの大調和論みたいなものは、成り立たなくなるであろうから。そして、そんなものが成り立ってほしくないからである。もちろん、そうなれば、彼の「天衣無縫」さは彼から失われるだろう。それは惜しい。一つの宝物を失うように惜しい。しかし、どうせわれわ
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