元に放り出し、安心して眠ってしまう。そういう関係にある。彼の思想にしてもそうだ。考えの一つ一つは真実で美しく純粋なものだが、システムは無い。あの考えとこの考えがムジュンしはじめると調和といったようなことで、ナスクッてしまう。それは、彼に於てゴマカシでは無い。シンケンにそう思ってナスクるのだ。しかし客観的には、そいつはデタラメである。壮厳なるデタラメだ。近代的思想としての一貫した検討に耐え得るものは何一つ無い。「新らしき村」が、いつまでたっても無くならない理由も、いつまでたっても栄えない理由も、そのへんにある。そういう関係にある。
武者小路がホントの意味での芸術の苦しみと喜びをはじめて知ったのは、彼が絵を描きはじめた時ではないかと私は思う。いや、ツクネいもなどの「文人画」のことではない。コツコツと写生をしデッサンをしてタブロウをつついて描いた絵のことだ。タブロウは写実と美と純粋だけでは出来あがらない。論理と構築と進化が存在しないと、出来あがらない。僅かであるが、そういうタブロウがあるのだ、武者小路に。それを見ると、およそ、それまでの武者小路から想像することのできないような細心で慎重な、
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