から言っても、宮本の小説は私におもしろく無い。読みだしてすこしおもしろくなって来ると、たいがい、叱られているような気持や教えこまれているような気持や見せびらかされているような気持などが起きて来て、興味に毒液を入れてしまう。それというのが、この人は、結局、人間をあまり愛してはいないせいではないかという気がする。愛しているのは自身だけで、その愛は非常に強いようであるが、他を愛さないのではないか? 他を愛するのは、自分のヴァラエテイとしてだけの他を愛するだけではないか? いや、抽象的観念的には愛しているが、具体的実際的には、他の人々を愛していないのではあるまいか? そのような彼女が、最大多数の人々への実際的な愛というものでたえず裏打ちされていないと、ややともすればデスポチズムになりやすいところの共産主義的理論に立って文学を作っているために、なおさらその点が強められているのではあるまいか? そのために、あらゆるホントに良き作品が、底深い地下水として持っている「他に対するケンソンな愛」が彼女の作品に欠乏して、そしてそれが私に「おもしろく」無く感じられるのではあるまいか?
しかし、一般に彼女の作
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