かれたのではない。あくまで小説として書かれているのである。客観的事実の記録は、フィクションにリアリテを附与するための裏打ちとして提出されていると見なければならぬ。つまり記録は手法として使用されている。もちろん、記録は手法として使用されてよいと思う。
 そして作者の着実さは、かかる手法を一応駆使し得ている。記録的要素は作品の中で全体のオーケストレイションを妨げていない。消化されている。一応は、である。そのかぎりで、一つの新しい成就である。しかし同時に、実はそのようなものよりも、もっと大事なザッハリッヒな実在感をこの作品が失っているのも、実はそのことから来ていると私は思う。このような程度の、また、このような形での記録的要素の処理のしかたでは、実在感は充分には生まれて来ないだけでなく、往々にして、逆にそれが阻害されやすい、この作品は阻害された例だ。そして私がこの作品から打たれなかった原因は、そこから生まれて来ていると思う。つまり、フィクション全体にザッハリッヒなものを附与するために提出された客観的事実の記録が、ザッハリッヒなものを与える前に(または、部分的には或る程度まで与えながら)全体としては、「ザッハリッヒなものを作品に附与するための手法」としてこちらに来てしまうのである。いわば写真に写された「物」よりも、写したカメラのレンズの位置や質が強く来てしまう。目的が達成されなかったという意味で、やっぱりこれは失敗であろう。そして残念ながら、このような手法は、私の見るところでは、すべて失敗する。
 現代の映画が、新しい芸術的手法として取り上げつつある要素にドキュメンタリイないしセミ・ドキュメンタリイがあるが、これが現在までのところ、みな不成功に終っている。その理由はいろいろあるが、最も大きな理由は、ドキュメントの部分と演出された部分とが互いに相殺するからである。それと、この場合が似ている。
 ドキュメントというものは、それを生んだ大前提ポイント・オヴ・ヴュウに対して、まったく疑う余地のない客観的に完全な信頼性が与えられていなければ、ザッハリッヒは出て来ない。たとえば『戦歿学生の手記』中の一篇の方が、この「あ号作戦前後」よりも、「美」はどうか知らぬが、「真」と「力」をわれわれに感じさせるのである。
 またフィクションの場合は、作者が現実に向ってした「認識の戦い」の末に「決定」があって、はじめてザッハリッヒが生まれる。別の言い方で言えば、現実を認識するにあたって、自我が燃焼して現実が再編成され再生して、はじめて冷たい事実以上にリアルな現実感が生れる。たとえば、志賀直哉は「真鶴」の中で、対象を見つめ抜いて、それを「自」か「他」かわからぬところまで追いつめて、最後に「決定」している。ために、主人公の子供は、ザッハリッヒに生き動いているのである。(――実は、それが「表現」の本質であると私は思う。)「あ号」は、そのいずれでもなく、しかも、右のようなドキュメントとフィクション双方の持ち得るメリットを二つながらあわせ取ろうとした作品だと思う。非常な慾張りだ。慾張りは大いに結構である。しかし双方が二つながら中途半端に――つまり失敗しているために、互いが互いを相殺して、プロバブルな実感しか生れて来なかった。
 そして考えるのは、ドキュメントとフィクションは、もしかすると結局は、一緒にすることのできないものではなかろうかということだ。どこまで行っても相殺するのではなかろうか? つまり、それぞれ、いずれか一つに徹底する以外に、ザッハリッヒを生み出すことはできないものではなかろうか。
 ハッキリした答えは私にはない。しかし今のところ、そんな気がする。この点については、ハンス・カロッサの小説が提供している方法などを参照しながら考えて見る価値があろうし、また、実作品において、阿川弘之および新しいたくさんの作家たちが、実践して見る価値があろう。もし万一、ドキュメントとフィクションが同時に採用されて双方が相殺しないばかりでなく、互いに互いが作用し合って二プラス二が六になるようなザッハリッヒを生み出すことができるようなことになれば、小説のための新しい広大な境地が開けるだろうと思う。
 この作品について、もう一つ言い加えて置きたいことは、作中の青年たちが、ほとんど全部、あの戦争中、戦争の中心地帯に生きながら、戦争に対してひどく冷淡であるように書かれているが、私にはこれらの青年たちが戦争を肯定するにしても、否定するにしても、ここで書かれているような熱度の低さで生きていたとは信じられない。それは事実でなかったような気がする。実は作品全体がザッハリッヒな力で私に迫って来なかった理由の一つに、それがある。つまり作者は、その点でほしいままに事実をまげているのではないだろうか。またはそ
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