同仁に軽蔑し憎み断罪していることだ。つまり「天に在って」下界に対しては平等に冷淡なのである。作者自身の人間的な「我」は、どこで呼吸しているかわからない。「てめえの料簡」がその時どうなっているかわからないのである。「自然主義的鉄のカーテン」である。十九世紀文学が築きあげたところの「偉大にして、散大してしまった視覚」である。その最大の実現者としてモーパッサンがいる。彼はすぐれた小説を書いた。そしてそれらの小説の中で彼自身の自我にとって重要なことを処理しようとしなかった。処理することを欲しなかった。そのため彼の自我の問題――宗教上の信仰からジフリスに至るピンからキリまでの自我の問題は、全部おいてけぼりを食い、ゴミのように彼のうちに溜って腐りはじめた。その毒気にあてられて彼は死んだ。モーパッサンを殺したものが、単純なジフリスや過労や過敏であるとは私は信じられない。ホントは、それらをも含めたところの、解決されざる自我の問題の蓄積の腐毒にあてられて死んだと思う。そして、モーパッサン式の自然主義的文学方法は、そのような意味で、すべての作者を殺す。死なないでいる自然主義作家は、症状が初期であるか、自然主義者として純粋でないか、ナマケモノであるからだ。広津が死なないのは、初期のためではないだろう。自然主義者としては純粋でないもの――つまり、もっと広い社会性だとか理想主義的な要素をあわせ持っているからだ。それに、ナマケモノであることも、事実だ。すくなくともモーパッサンほど小説を書くことにキンベンでないことは事実だろう。とにかくモーパッサンと小説との関係と、広津と小説との関係は、実はちがう。だのに小説を書く時に広津が取り上げる方法はモーパッサンの方法である。そこに問題があり、ここから困りものの古さが生まれて来る。
 先に私は広津について「あれだけすぐれたヒューマン・ドキュメントを書き得る広津が、何故にこのように下手な小説を書くか、また書かなければならないか」と書いたことがあるが、それがこのことに照応する。ドキュメントやエッセイの中で、彼は人間としての自分の高さに立って、同じ高さの平面に立っている人間を眺め、ものを言いかけ、語る。だから他の人について語る場合にも、その中で彼は彼自身の自我の問題を処理している。表現は「他」と「我」との切線の上にうち立てられている。別の言葉で言えば客体と主体がぶち当って燃えたところで答が出されている。そこには人間を見下して軽蔑しながら憐むところの「神」の散大した視点はない。これこそ現代小説が自然に到達した方法である。少くとも我々が自然主義を通過して到達した方法である。つまり、広津はそのドキュメントやエッセイでもって、自然にそして正当にそこに到達しているのである。だから彼のドキュメントやエッセイは彼の小説よりもズット正当な意味で現代小説なのだ。しかし彼自身そうは思わないらしい。そしては「小説」を書く。その時にはかならず机の塵を払い原稿紙に向ってむづかしい顔をして対し、一言に言うと文学青年的に緊張して、自身の中の一番古めかしいところ、十九世紀の隅っこまで後退して書く。まるでそれは、卵を生む時にかならず小屋の隅へ退くニワトリの習慣のように厳粛な、矯正しがたい、そしていくぶんコッケイな習慣だろう。
 言うまでもないが、作品の中で「我」の問題を解決して行くと言うことは、かならずしも作中で直接自分のことを書くとか、いうところの私小説を書くとか、直接自分に関係のある問題を取り上げるとかいうことを意味しない。要は、それを自分が眺め、感じ、考えて、自分として最も高度に燃えて来る対象を描くことである。物理的な意味での自分であるか他人であるかは問題でない。自分にとって最も重大であり、最も興味の持てるものでさえあるならば、たとえ一匹の蚊のことを書いても、作家はその中で結局は自我の問題を解決して行くことが出来るし、解決して行かざるを得ない。そして広津にとってこの作中のひさその他の人物たちは、実はどうでもよい人間たちではないだろうか? 極端に言えば作者にとって死のうが生きようがどうでもよい人間ではないだろうか? すくなくともこの作品でとらえられているかぎりでは、そうとしか私には見えない。
 そして、そのことがこの作家の中に、良いことを何一つ引起していないのである。それはただ、古さを引起している。その古さは、一般的にも古いと同時に、実は広津自身が到達している地点から言っても古いのである。しかもさらに、彼の感覚を鈍化させるにも、あずかって力のある古さである。どんな理由で彼がこんな習慣に固執するのか私にはまったくわからない。広津ほどの鋭い頭と永い経験をもってしても、これはどうにもならないことだろうか? 芸術というものが、そんなふうに人をしてしまうものであ
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