遁世」の動機に対する執念深さ、そのニヒリズムへのこびりつきかたの持続力。徳川期における平田や本居などの国学者たちの骨組の重さ厚さ。又、ワビやサビの本家である千利休でさえも、秀吉と闘えば、あそこまで闘えた。さらに戦国時代や鎌倉時代の武士や文化人を見ても、もっと善悪ともに徹底的な、もっとシブトイ姿が、いくらでもある。上代にさかのぼれば、さらにそうである。すくなくとも、弱さや浅さやモロさや淡さは、べつに日本人本来の特質では無い証拠がいくらでもある。日本人は近代になってから特に弱く浅くモロく淡くなったのだ。その原因の検討は興味ある仕事となるだろうが、今ここで私のする仕事では無い。ただ、そのような弱く浅くモロく淡い見本を、ホントウから言えばそのようではあり得ない条件と前提を背負って出発した筈の戦後派作家たちに認めなければならなくなって来つつあるのは、意外で心外だ。
 われわれは、一日一刻も早く世界的場[#「場」に傍点]に出抜けなければならぬし、出抜け得ると思う。それに必要なことは、カントのようにマルクスのようにデューイのように考えることでは無い。そんな事は大した事では無い。彼等が持っている――そして昔の日本人も持っていた――今でも少数の日本人が持っている――思想と行動の一貫性、初一念への執念深さ、自分が自分に背負わした荷物への保持力、なかなか食いつきはしないが一度こうと思って食いついたら最後首が飛んでも離さない歯の力――一言にして言うならば、自分のイノチの処理のしかたのシブトサを見につけることである。
 それを戦後派作家たちが、多少はやってくれようかと期待していた。期待は大き過ぎたかも知れぬ。いずれにせよ、期待はほとんど完全に近く裏切られかけているらしく見える。とにかく、ニヒリスティックな小説を五つ六つ書いた末に不意に「進歩的」になっちゃって共産党に入党した作家や、又はその逆に入党して半年もたったら忽ちその共産党にも疑いを持ち、持ったトタンに党をやめたりサボったりする作家や、あれこれの美学や科学や芸能やヴォキャブラリイをすこしずつかじり集めてそれらをシカツメらしく又シャレた取り合せで並び立てたりデングリがえしてみたりする事が「近代的」な創作のしかたであるとしている作家や、作品の中ではゴロツキやインバイや闇屋や分裂患者やその他やりきれない人間ばかりを、ムヤミと暗い、ないしは暗い
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