く言っている。私にも何かの責任が生まれるかもしれないが、しかし私の本意は、この人たちに、もう一度立ちなおってほしい気持から出発したものである。しかしそれだけに、私の言葉は、かえってシンラツになってしまったとしても、やむを得ない。そこで――。
この人たちが戦争から受けたキズだ。たしかに、キズはキズであった。しかし、たいしたキズでは無かったようである。或るものは、もう治ったらしい。或るものは、上にアマ皮が張って、もう雨や風もしみない。或るものは、キズの上に「進歩的政治思想」のバンソウコウを張りつけて、ノコノコ歩きまわりはじめたらしい。したがって、大体において一様に、もう「治療」の必要は無いかのようである。したがって又、読者が作品から受取るものとしての治療も、ほとんど失われかけているのも当然であろう。
そして、それはそれでよいのであろう。この事自体に不満をとなえるべき理由は無い。自分の事にせよ人の事にせよ、無事なのは、なによりである。キズは浅い方がよい。また、早く治るに越したことは無い。だから、それはそれでよいのである。
しかし、それなら、はじめ、なぜギャアギャア泣いた? 手術室から出された直ぐあと、どうしてあんなに泣いた?
うん、しかしそれも、子供は、大体みんなそうではないか。それも正直で素朴でよいではないか。なにもそう、ひとつ事に執念深くへばりついて、こだわって、シンコクぶる事も無いではないか。愛情も悲喜と共に、アッサリとゆくのが「日本」かもしれない。それもよいではないか。
――というような事をサンザンに考えた末にも尚、私には決定的な不満が残るのである。それは、日本人(私をもふくめて)の薄っぺらさだ。受けるべきキズさえも、マトモには受け得ない弱さ、苦痛にも歓喜にも強く永くは耐えきれない浅さ。黄表紙風のボン・グウや「ほどの良さ」や「あきらめの良さ」のモロさハカなさ。ニュールンベルグにおけるドイツ戦犯たちの最後の姿にくらべて東京における日本戦犯たちの最後の姿の淡さ、是非善悪のことでは無く、その淡さだ。
日本人がもともと本質的に、そうなのか? もしそうなら、しかたが無いが、私は必ずしもそうでは無いと思う。たとえば、西鶴や近松や南北などはもちろんのこと、近世「日本」文化の背骨の一つをなし、かつ、日本的なものの中でも最も日本的な代表者である芭蕉や西行を見よう。その「
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