し」になってしまう危険があるのだ。しかも彼はそれを、その時々に正直にシンケンに器量いっぱいにやってのける。当人にとってウソは無いのだから、キショクの良い事だろう。しかし武者小路のような大インテリには、一方に、人間のチャンピオンとしての責任が有る。それが、いかに自分だけはキショクが良くても、今日この事をよしとしていて、明日それと真反対のあの事をよしとして、イケシャアシャアとしている権利は無い。
 私の知っている文化人の一人に、彼自身大いに進歩的な考えを持っていると自認しており、また事実することも言うことも進歩的らしく見える男がいるが、この男が他の人が自分の気にくわぬことを言うと、必ず「君は反動だ」と言うクセを持っている。バカヤロウと言うのと同じ使用法で言う。たいへんアイキョウのあるクセであるが、時によって人を困惑させることは事実である。それで私は一度「反動」という言葉で君はなにを意味しようとしているのか、君がその言葉に持たせようとしている意味をもっと洗いあげてみたらどうだ、つまり「反動」を定義してみたらどうだ、と希望したことがある。もっともその男は私の希望をいれなかった。そして再び「すぐにそんな事を言うから君は反動だ」と言い放った。私はふきだした。――
 武者小路は、彼の「人道主義」を一度洗いあげ、定義し、首尾一貫したものとして、再確認してみることが必要ではあるまいか、彼自身にとっても、そして、もちろん、われわれにとっても。そうでないと、われわれは、いつか、武者小路を見て、ふきださなければならなくなるかもしれないのだ。そして、われわれは、このように大きな、このように純粋な人を見てふきだしたりはしたくないのである。この人を、お手本にしたり、よりどころにしたり、鏡にしたりして、もっと高いところに到達したいのである。
 これで広津と志賀と武者小路についての一言ずつを、ひとまず終るが、終るにあたって思うことは、これほどまでにすぐれて、他からのサイミン術にかかりにくい人たちでも、自分が自分にかけるサイミン術だけは、避け得ないのだろうかという事だ。
 この次ぎには、四十歳前後の流行小説家たちの数人のことを、その次ぎには戦後派の小説家たちのことを、又その次ぎには共産主義的な作家たちのことを、またその次ぎには、劇作家たちのことを書いてみたい。
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