におもしろく無いだろうと思うので、大ミエを切ったり否定遊戯をするのは、さしひかえているのです。私が共産党やその他のあらゆる党に入らないのも、私の政治ぎらいだけで無く、以上のような私の態度の中の一つですよ。もしそうで無かったら、私は共産党にでも自由党にでもトットと入っていたでしょうね。なぜなら、私はこれで、私の知っている共産党員のたいがいの者より共産主義「的」に立派ですし、また、たいがいの自由党員よりも自由主義「的」にすぐれていますからね。私の言うことがわかりますか?
A わかります。そして同感するところが多々あります。しかし、それだけでは、あなたの性格から来たあなた一個の特殊な立場の説明にはなっていても、あなたが先に言われた――芸術家はあらゆるイデオローグになれないと言う御意見の説明としてはまだ充分では無いと思いますがねえ。
B シツコイなあ。これ以上、どう言えば、わかってもらえるかなあ。ええと……あなたは、マルクスが『資本論』を書き上げた後で、友人に向って笑いながら「おれはマルクス主義者ではないよ」と言ったエピソードはご存知でしょうね?
A 知っています。
B あの話をあなたはどんなふうに思いますか?
A マルクスのシニシズムないし逆説癖から生まれた軽いジョウダンだと思います。重大なこととして、ムキになって考えなければならぬ事ではありません。
B 私もそれをジョウダンだと思います。しかし、あなたほどこれを軽く見ることは私にはできません。人がジョウダン半分に言ったりしたりするチョットした事の中に案外に重大な意味があるものですからね。もちろん、この事を或る種の保守派たちがするようにマルクシズム全体の否定のための道具にしようがためではありません。むしろ、その逆に近い。と言うのは、私はマルクスの伝記を読んで、この人をあまり好きになれませんが、しかし、辛うじて積極的に嫌いにならずにいられるのは、今言ったエピソードがあるからです。それを別にしても、このエピソードの中には、非常に深い、非常におもしろい意味がふくまれているように私には思われます。言うまでもなく、いくら私が偏狭であったとしても、マルクスの真骨頂は主として『資本論』の中に示されており、マルクシズムを是非するためには『資本論』に向わなければならぬという位の事は知っています。しかし、私は人間を一個の全体として見ますから、
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