の一コマを見ているほどの感銘もおきない。戦争の悲惨と平和への希望を無感動な念仏として抱いている文化的スノッブを予想して描かれた思いつきの平俗なパノラマだ。同じくショウマン画家にしてもマチスには美があった。絵画に対しても観客である一般大衆に対しても謙虚なものがマチスにあったからである。とにかく美しいパーフェクトリイを提供して人々の眼に奉仕しようという心がマチスにはあった。ピカソはただ人々をビックリさせて拍手させようと思うだけだ。人がビックリしている間はそれで良いがビックリしなくなると退屈する。
ピカソの絵は一見近代的なものに見えるが、彼が真に近代的であったことは一度もない。近代の科学性・自我意識・矛盾・人間性などは彼には全く無縁のものであって、彼ほど本質において古めかしく、その古めかしさを新しく見えるもので包みこんでいる画家は珍しいといえよう。ただ一つ彼が近代の絵画とその作者である画家との関係を非常に変えてしまったということだ。子供が遊ぶように絵をかき散らしたということ、そしてそのことに何十年となく飽きなかったということ。これはある意味でたしかに偉い。あるつまらぬことをはじめ、それを毎
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