ない。しかしそれは二つながら当っていない。私は真面目にそして正面からものを言ったのだ。ただもう少しくわしく述べる義務があるようだから、ここで述べる。
「何故ピカソがつまらないのか?」と君は問うが、まず第一に子供らしい答え方で答えるならば私は「何故つまらないかをぬきにして、まずピカソの絵は私にはつまらないのだ」としか答えられない。だからまず逆に私は君に対して次のように問いかけてみる。
「それでは君はピカソの絵を本当に良いと思って見たことがあるか?」
本当にということは文字通り正直にという意味であって、時に美術批評をもしている君が大勢の人々の中で人々を相手にしてものを言ったり考えたりする場合ではなく、本当の君一人の室の中でそう思うかという意味だ。どうであろう?
私が自分の勤労によって働き出した金がある。その金で一枚の絵を買うために展覧会または画商の所へ行ったとする。そこにはたくさんの美しい作品がある。さてしかし自分にとって大切な金を出してどの一枚を買おうかと思って眺めると、美しいものとそうでないものの差がハッキリしてくる。そして最後にこれだと決めて買う気になった作品が良い作品だった。実際において買わなくても、そういう角度から絵を見ると絵の良し悪しが非常にハッキリすることが多い。そしてまたこれまでに見たピカソの絵(もちろんほとんど複製)で私に大事な金を出して買いたいと思わせた絵は一枚もなかった。
次に絵画の観賞の仕方に次のような考え方がある。それは最初に見た時にその美しさにビックリして惹きつけられ、それを座右に置いて始終見ている間につまらなくなってしまう絵と、最初に見た時は平凡な絵だと思ってたいした刺戟も受けなかったが、長く見ている間に次第に深い味が出て来て惹きつけられる絵と、最初に見た時に強い刺戟を受けそれをくりかえして見ているうちにその刺戟が深まり、つぎつぎと新しい味が出て来ていつまでも見飽きない絵。もちろんこの場合最初見てつまらなくていつまで見ていてもつまらないというレベル以下の絵は除外しての話だ。そして言うまでもなく第三番目の絵が良い絵であると言うことについては君も異論がないだろう。そしてピカソの絵は初めの頃においては私を最初驚かし、そして長く見ていると退屈させた。わずかに彼の絵で私をそれほど飽きさせなかったのは「青の時代」に属する新古典的な絵のいくつかに
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