せん。
久子 いいんですのよ。ホホホ。(歯をむいて笑う)
トンコ ワンワン!
三芳 じゃ津村君、どうぞ、食堂の方で。それともここへ持ってこさせようか?
津村 いや、向うへ行こう。(立つ)
久子 御飯が少したりないかも知れませんけど――そのかわり今夜はウンと、あの、御馳走しますから――(三芳に)ツヤ子さんねえ、どうしても米を出してくんないのよ。ほら、こないだ福島の親戚へ買い出しに行ったでしょう、あれを、しっかり抱えこんで、毎日自分の分だけ三合ずつ出すだけで、いくらなんと頼んでも貸してくんないの。
三芳 ……だって内のが有るだろう?
久子 内のがって、だってあんた、もう二十日からの、遅配なんですよ。そんな――
三芳 だからさ、先月買いこんだぶんが有るだろう、例のそら――
久子 じょうだん言っちゃこまりますよ、二斗やそこいらの米がいつまで有ると思ってんのよう!
津村 そうか……そいじゃ――(奥へ行けず扉の所に立っている)……じゃ僕は食わなくても、なんだから――
久子 いいんですのよ、いいんですのよ! いえ、いいんですのよ! どうぞ、あの、後はどうにでもなりますから、そんな御遠慮なんかなすっちゃ、いやザンスわ! ほんとに! (津村出て行く)
大野 (それまで一同から全く無視されて、ボンヤリこの場のなりゆきを見ていたのが急に)じゃ、私がホンの少しばかりだけど持っていますから……(と、室の隅に置いてあった大型のボストン・バックの所へチョコチョコ走りで行き、バックの口を開いて、三升ばかりの米の袋を取り出してくる)あの、これを、どうか――ホンのわずかですがね。(久子に手渡す)いや、そんなことと知っていたら、もう少したくさん持ってくるんだった。
久子 あらまあ大野さん、いらっしゃい。いつも、すみませんわね。(と、今までまるで無視していた男に、だしぬけに水のたれるような愛嬌で、あいさつと礼をいっぺんにやってのける)ホホホ、なんですか、いつもこんなにしていただいて――そして、このお代はいかほど?
大野 いいですよ、いいですよ。なあに、お安い御用ですよ。ハハ、ちょっとツテがあってね(言いながら、それまで津村のかけていたソファにかける)
三芳 すまんなあ……(久子に)だけど、お前、なんだぜ、津村の前であんまりヘンなこと言うのはよせよ。
久子 あらあ、何がヘン? だって、しかたがないじゃありませんか、ツヤ子さんがどうしてもお米を出そうとしないんだもの。ホントにイケズウズウしいったら。
大野 (手を出して、久子の抱いているトンコの頭を愛撫しながら)ハハ、いやツヤ君なら、それくらいなことはヘイチャラでしょう。内に来ていた頃ねえ、どうもこいつは頭が少し狂っているんじゃないかと思うことが時々あった。(三芳に)ほら、私んとこにきていた薄田中佐ねえ、あいつと、あいつの副官を、いつだったかスリコギでぶんなぐったことがあるんだ。いや、どうもようすが、二人であの子にそのチョッカイを出したというようなことだったらしいけどね、ハッハハ!
久子 あれでチョットしぶかわがむけていますからね、ヒ! それにおまけに、ちかごろ、ばかに色気づいてきて、いやらしいったら、ないわ。いいかげん、あんな子を引受けてるの、ことわってしまいなさいと、しじゅう言っているんですよ。
三芳 だってそんなわけにゃ行かんじゃないか、叔母さんの手前――(ウィスキィをカプカプ飲む)
大野 そうそう色気で思い出したが、こいつ(とトンコの頭を撫で)も、おしいことをしましたねえ。あん時ぁ、たしかにかかったと思ったけどねえ。あの当時、空襲々々で、くめ八も一種の神経衰弱になっていたんだなあ。
久子 その後、どうなすって、くめ八?
大野 かわいそうだったが、進駐軍関係の人に、売ってしまいましたよ。家は焼かれる、失業はする、この年になってウロウロしている人間が、犬を連れてもいられませんからね、ハハハ! いやあ、もういけません、こう世の中がデタラメになってしまっちゃね、追放々々で、われわれの仲間などミジメなもんでさあ、もとの地方の所長で靴なおし屋になった男がいますよ。そりゃね、言い立てて見りゃ、われわれにだってそれぞれ言い分はありますがね、敗軍の将――いや将でもないが、とにかく、兵を語らずだ、ヒヒ! そんなことよりも、とにかく食いつなぐことの方が焦眉の急を告げているというわけ。
久子 ホントに、なにもかも変りましたわねえ。
大野 変りました。いや、実は、変った中でも奥さんの変られたにはチョット、びっくりした。さっき、そこから出てこられたときには、別の人かと思った、ヘヘ! 
久子 そう言えばいつも、かけちがって、終戦後はじめてお目にかかったんですね。
大野 以前は、いつも着物を着て、マゲなどにゆって――いや、あれもよく似合っていら
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