と涙をこぼして)そいつは、あんまりザンコクだ。私が腹芸なら、君だって腹芸じゃなかったかねえ? なんだったら、証拠だってある。あの当時に君が書いて出した手記や願書なども、捜せばチャンと――
三芳 へえ、大野さん、そんなことを言いに来たのか?
大野 いや、誰も君、こんなことを今さらこのんで言いたくはない。誰にしたって、こうなってしまうと、古証文を持ち出されちゃ迷惑する。つまりなにもかにも御破算だからね。それさ、私の言うのは。だのに君たちだけが、昨日のことは忘れてしまって、つまり一方的にだな、あんまり良い気になっている点が、人間として実になんだから、それをただ私は――
三芳 君ぁ、なにを言うんだ、どんな証拠だって、出してきたけりゃ出してみたまい。あんだけのファシズム勢力におさえつけられて、たえず生命の危険にさらされていたんだ、僕たちは! その中でわれわれが無理やりに書かされたことが、なんの証拠になるんだ! (怒って立って行きかける)
津村 まあまあ、いいじゃないか。もうよせよ。
大野 津村さん、聞いてください。あんたがたは、良いんだ。あんたがたは、そりゃ、尊敬に値いする。戦争中、節を屈しないでやってこられたんですからね。しかし、そのほかのです、そのほかの大多数の連中がだな、あんたがたを前に押し立ててですよ、この――つまり、なんだ、つまり私たちなどが戦争中、軍閥や財閥を押し立てて、つまり、軍国主義的空気に便乗してエテカッテをしていたというのなら、今、そんな連中だって、あんたがたを笠に着て押しまわっているんだと、言って言えないことはないわけで――とにかく、この、いえ、私がこんなことを言うのはだな、すくなくとも津村さん、あなたがたには私らの真意――つまり今となって大きなことは言えないけれどもがですよ、すくなくとも、この人間としての、このわずかながらです。人間的な、この一片の誠実さをです、あんたがたには、わかってもらいたいのだ。わかってもらえると信じているからですよ。(椅子から床の上にすべり降りて、片手をついて)ね、その点だけは、この――
津村 わかった、わかった。いいじゃないか、人間にも動物にも、それぞれの泣きどころというものは有るさ。これまでは、僕らの泣きどころを君たちがくすぐっていたわけだろうし、こんどこうなってくると君たちの泣きどころを僕らがくすぐることになるわけだろう。大した問題じゃないと思うんだ。どっちせ、僕らはもう非合法の仕事をしてるわけじゃないんだから、堂々正面からやってきて――まさか、こっちがわに入りっきりに入りたいというんでもないだろうから――情報の提供でもなんでもしてくれたまえな。ただそれをそのままに信ずるかどうかということは、各自の自由だからねえ、どうかあしからず。ハッハハハ(三芳に)ところで僕ぁソロソロ委員会の時間なんで行かんならんが、なんかすこし食う物はないかねえ?
三芳 そうそう、いやさっき、そう言ってあるから、もうできて――(奥へ向って手を叩く。この男の津村にたいする態度は、表面対等であろうとしながら、実は無条件に迎合的である)おい、久子! 久子! (立って扉の所へ行き、手をたたく。奥から「はあい!」と女の声)どうしたんだ? おい! チエッ、しょうがないなあ、久子う!
久子 はいはい! (言いながら出てくる。三芳より年上だが、それがしばらくわからぬくらいのなりをしている。真紅のブラウスで腕のまる出しのやつを着て、男のズボン。頭は後頭部にまるで毛の無いかりあげのボッブ。鼻の両わきにきざんである非常に深く長いシワを特色とする顔に、ブラウスの赤さにまけないくらいの頬ベニとクチベニ。腕にトンコを抱いている。そのケンランたる印象に、ギョッとした大野が、思わず立ちあがって、口をあけて見守っている)なんですの?
三芳 なんですじゃないよ! 御飯々々! 津村君のさ! あいだけ言っといたじゃないか。ボンヤリしていちゃ困るよ!
久子 できてるわよ、もう! でもさ、すこし――
三芳 できてるならできてると、なぜ早く言わないんだ、バカヤロウ!
久子 なにがバカヤロ! なの!
三芳 バカだからバカだと言うんだ。津村君が急いでいること、お前知らんわけじゃあるまい。
久子 だから、それは、もうおうかたできてるんじゃないのよ。私の言っているのは、あなたが、いまだにそんなふうに私にたいして圧制的な物の言い方をなさるのは、やめてくださいと言ってるんだわ。もうファッショの時代じゃないんですからね! それにあなただって、とにかく――
三芳 そ、そんなことを言ってるんじゃねえんだ。くそ!
久子 ホホホ!(不意にエンゼンと笑顔を作って津村に)ねえ津村さん、そうじゃありませんか!
津村 いや、まあまあ、いいですよ。ハハ、いつも、どうも御厄介をかけてすみま
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