、終戦以後、いろいろの方面でいろいろの人々が論じていますが、これは、われわれにとっての大問題でありまして、この問題にたいして明りょうな[#「明りょうな」は底本では「明りような」]答えを出さないかぎり、わが国文化の再建は考えることができないものであります。したがって――早すぎますか?
記者 (筆記しながら)いえ、けっこうです。もっと早くても――
三芳 ええと――したがって、この問題の論議にたいしては、できるかぎり広汎な人々が、つまり全国の各階層の全部が参加しなければならない。そして各人が自由に討論しなければならない。ところで現在流行している戦争責任論の中で、われわれが警戒しなければならぬ一群の傾向があります。それは何かと言えば、正確な意味での戦争犯罪者は、戦争を直接に誘発した少数の軍部指導者や財閥指導者たちと、それから国際法規によって規定されている一方的残虐行為を犯した者だけであって、それ以外の一般国民は、だまされていたのと同時に、起ってしまった戦争に負けてはたまらんからと思って協力しただけだから、戦争責任はないという議論であります。……これは一見、もっともらしく、かつ俗耳に入りやすい議論ではありますが、実は、よく考えてみると俗論中の俗論で、三百代言式の言いのがれ論である。――なぜなら、事実上戦争をしたのは、国民全部であります。ごく少数の進歩的考えを持っていた人たちが、これに参加しなかっただけであって、その他は全部戦った。責任はあるのであります。特に国民の意見の指導者代表者であるインテリゲンチヤ、文化人には、非常に大きな責任があるのである。であるのに、今言ったような古くさい法理論でもって責任を回避しょうとするのは、ですね、かかる論をもって国民全体にアユツイショウしょうという醜悪さと、同時に自己保身のための恥なき態度と言わざるをえない……かかる徒輩をそのままにしておけば、ついに日本再建は不可能となるばかりでなく、さらに日本を将来ふたたびファッショ化するところの基盤を温存することになるのであります! 特に、映画界においては――実は私も映画人の一人でありますが、はなはだ残念ながら、かねて日本の文化人の中で映画人――つまり活動屋が最も下等ですが、いやいや中には立派な人間もおるにはおります――おるのでありますが、このなんです(すこしシドロモドロになってくるが、しかし自分のシドロ
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