ッなかった。君があんなこと言うもんだから、つい僕もカッとしちまって――
ヴィン いや、僕がいけないんだ。どうも、この、近頃、時々、頭が妙な風になる。変な声が聞えたり――許してくれ。すまん。(言いながら打ちくだかれた様子でヨロヨロとテーブルの方に戻りかけ、そこのイーゼルに足がけつまずき、イーゼルが倒れそうになったので、それを支えて、元のように直す)
ゴー 僕も酔った。もう寝ようじゃないか。
ヴィン (フッとそのイーゼルの上の絵に眼を引かれて、ジッと見ている。自分の「向日葵」である。立っていても身体がフラフラとゆれている)
ゴー (白けきった言い方で)それとも、ローザのおかみの所へ出かけるか? どうもこの部屋がいけない。どうだい、君はラシェルの所へ行くんだろう?
ヴィン え、ラシェルだって? ……(おうむ返しにそう言うが、またすぐ絵にすいつけられる)
ゴー ラシェルがあんなに来いって言ったじゃないか。
ヴィン ラシェル……ふむ。(と無意味に繰返して)この「向日葵」は良いって、君言ったね?
ゴー うん? ……うむ、よく描けているよ。(気のない。しかし言い方に気がないだけに、本心からそう思っていることがわかる)
ヴィン マネエの「向日葵」より良い?
ゴー ああ良いね。
ヴィン ……すると、テオにはそれがわからないと君は思うかね? ただ俺が下手の横好きで描いているんじゃないと言うことがだね、つまり、ただ俺が重荷だって言う――
ゴー しつこいなあ、まだ言っているのか。そんなことどうでもいいじゃないか。とにかくテオはシロウトだからね、ホントのことはわからんよ。とにかく、この絵は良いよ。俺が言ってるんだから間違いない。君は僕の描き方をかなり取り入れてるが、しかし君でなきゃ描けんものがある、その絵には。良いよ。僕のこの絵と取り替えっこしないかね?
ヴィン ふん。……(ゴーガンのイーゼルの方へ行き、自分と向日葵の描いてあるその絵を見る)……うまい。……トーンがある。どうしてこんな色が出るのかな? ……だけど、ホントに僕の顔はこんなかね?
ゴー そうだとも言えるし、そうでないとも言える。僕は目に見えたものを、そのまま写生はしない。そんなのは写真にまかしとけば良いんだ。僕の絵は僕の頭の中に在る、それをカンバスに一つの装飾として描き出すだけだ。
ヴィン すると君の頭の中の僕という人間は、こんな顔をしているんだね? つまり、僕と言う人間を君はこんなふうに見ているんだね?
ゴー まあ、そうだね。
ヴィン すると、君はやっぱり僕を気ちがいだと思っているんだ。だって、この絵の僕の顔は、これは狂人の顔だ。
ゴー そう取りたければ取ってもいいが、僕はそうは思わない。
ヴィン そうか。せっかくだが、「向日葵」と取り替えるのは、ごめんだ! (再びイライラしはじめている。ツカツカと自分の絵の方へ戻って来てそれを睨みながら)ふむ。君は今、俺が君の描き方を取り入れていると言ったがそれはどう言う点かね?
ゴー いいじゃないか、もう。取り入れたっていいし、そんなもの以上に君独特の所が出ているんだから。
ヴィン 嘘をつけ! 君はこれを模倣だと思っているんだ。自分の技法を模倣しているんだと言いたいんだ。そうだろ? そう言う傲慢な人間だ君と言う男は! なるほど君は俺なんかよりすぐれた画家だ。それは認める。しかし俺にだって、いくらまずい絵かきの俺にだって、俺にしきゃ描けないものはあるんだ。
ゴー だから、それはそれでいいじゃないか。
ヴィン 言って見ろ、卑劣野郎! どこがどんな風に模倣なんだ? 言え!
ゴー (ムカッとして)そうか。そんなら言う。模倣だって言うんじゃないぜ。影響だ。聞きちがえてもらいたくないよ。この、ここん所のエロウだとか、もちろん全体の構図も、特にバックの効果、そいから、この壺のカドミュームの輪郭など、君はどっから持って来たんだ? え? みんな僕の理論からの影響だ。そうじゃないか。
ヴィン ……(全く蒼白になり、卒倒する直前のような姿で石のように立っている)
ゴー 批難してるんじゃない。誰だって人の影響は受ける。現に僕だって、(肖像画を指して)向日葵の描き方は君の行き方で行ってる。だから、それはそれでいいんだ。ただ僕が言いたいのは、君は人からの影響に対してあまりにスナオ過ぎる。無抵抗すぎる。もう、そんな必要はないのに、つまりもう既に君は独自の芸術家になっているのに、あんまり正直に他からの――
ヴィン (ゴーガンの言葉を全く聞いていない)……(無言で眼を据えて、スーッと洗面台の方へ行き、その隅にのせてあったカミソリを掴んで戻って来て、刃を出すや、いきなり「向日葵」のカンバスをガスガス、ガスガスと切り裂く)
ゴー な、何をするんだ! こら――(ヴィンセントに飛びかかって、その腕を掴む)ホントに気が狂ったのか!
ヴィン 離してくれ! この絵は、君になぞ渡さないぞ!(カミソリを持った手を振りまわす)
ゴー あぶない!(その手をピシッと打つ。カミソリは室の隅へ飛んで行く。なおもあばれようとするヴィンセントを背後から羽がいじめにする)落ちつけ、ヴィンセント! 馬鹿!
ヴィン (酔いと昂奮としめ上げられているため、既に言うことに脈絡がない)くしょう! 俺は駄目だ! ダニだ! テオに厄介になっている価値がない! そうだ、へへ。人真似なんだ! 俺の絵は人真似だ! そうだよ、そうだよ、ポール! お前さんは偉大な画家だ、天才だよ、畜生! 放せ! 俺はな、もう絵なんか描くのよして、ラシェルの所へ行くんだ、耳を持って行ってやる! 放せと言ったら! (しきりともがくが、ゴーガンの強い腕でしめられているので動けない。そのうち体力が尽きたのか不意にクタッとなって、ウウ、ウウと泣くような唸り声を出す。口からヨダレをたらしている)
ゴー (抵抗がなくなったので、びっくりして)どうした? おい?
ヴィン (ほとんど失神している。ゴーガンの足元にクタクタとくずれ折れそうになりながら、うわごと)うう、うう……テオ、許してくれ。許してくれテオ! ううん。
ゴー しっかりするんだ!(相手が発作のようなことを起していることを見て取り、倒れこみそうなヴィンセントの身体をグッと抱えあげ、どうしようかと、あちこち見まわした末に、階上の寝室を見上げ、やがてヴィンセントを抱えて、階段の方へ行き、ゆっくりそれを昇って、寝室に入り、ヴィンセントをベッドに寝せる。ヴィンセントはグッタリして意識がないらしい。……それをジッと見おろしていたが、やがてその額に手を当てて、そのまま眠るらしいのを見すましてから、寝室を出て、いったんドアをしめるが、また開け放って、階段をおりて来る。室の中央まで来て、階上を見あげ、ヴィンセントが寝ているのでホッとして、しばらくジッと立っている。切られた「向日葵」のカンバス。……気がついて、カミソリの飛んだあたりへ行き、床の上を見まわすが、見つからぬ。なおもその辺を捜すがないので、あきらめて、テーブルの所へ来て、椅子にドッカリと腰をおろし、再び階上を見る。……それから目の前の壺にさした向日葵を見るともなく見ていたが、やがてテーブルに両肱をつき、両手で顔を蔽うて、動かなくなる。……間。どこかで何の音かわからない、非常に低い、ほとんど聞えるか聞えないほどに微かな唸り声のようなものが流れて来る――(三十人くらいの低いハミング)……。やがて身を起したゴーガン、ゆっくり立って階上を見あげた顔が涙に光っている。……気を変えて、ゆっくりした動作で、ガス燈の紐を引いて消す。そして、片隅の小テーブルの上のランプを取り、下手の自分の寝室に入り、ランプを枕元の台の上に置き、上着だけを脱いで、ベッドに横たわる。……しばらくして、首だけあげて階上の寝室の方の気配をうかがうが、なんの物音もしないので、枕元のランプを吹き消して横になる。……室内も二つの寝室も真暗になり、窓をすけて見える公園のガス燈だけが、ボンヤリと頼りなげにともっているだけ)……。
[#ここから4字下げ]
闇の中にハミングだけが、低く、底深く流れる。間。ハミングの波の上に、チラホラと極く低く、少し調子の歪んだ、そして時々とぎれながら「ファランドール舞曲」が浮びあがって来る。
その最後の音とともに、人がうなされているような「ヒイイ」と言う声がして、階上の暗い寝室のベッドの上にヴィンセントが起きあがった姿が、戸外からの微かなガス燈の光で見られる。それがしばらく、ジッとして動かない。……ハミングは既にやんでおり、ファランドールもやむ。……間……そのうちに、遠い所でミサでもあるか、キリンカン、キリンカン、キリンカン、キリンカンと微かな鐘の音。それが次第に急調になって来る。ムックリ起き出したヴィンセントの姿が、しばらく突っ立ったままでいる。その黒いシルエット。シルエットが不意に動き出し、スッスッスッと寝室を出て階段を下りアトリエの中央に立つ。ベッドに寝かされる時に靴はぬがされているので、ほとんど足音はしない。……遠い鐘の音がますます急調に同時に、乱調になる。
ヴィンセント、自分の寝室に引き返すように、階段の方へ戻りかけ、再び立ち停り、無意識にポケットに入れた手が掴んだものを鼻の先へ持って来て見ている。(マッチとクレヨン)……マッチをする。その光で真青な彼の顔と、身のまわりだけが照らされる。その光の中の壁ぎわの低い台の上に、ランプが一つのっている。ヴィンセントはそれに目をつけ、かがみこんで火をつける。その明りに下から照らされたヴィンセントの顔の錯乱……ランプを持って身を起こそうとした彼の眼に、そのランプの光を反射してギラリと光って、先程飛ばされた裸のカミソリが床の隅に落ちているのが見える。ヴィンセントそれを拾いあげ、いぶかしそうに見ていてから、ゴーガンの寝室の方に眼をやり、再びカミソリを見る。何かを思い出せそうでいて思い出せないイライラしたものが彼の顔に現われる。……
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ヴィンセントの声 (背後から、低くささやくように)なんだ、これは? どうしたんだろう? うん? こんな所に裸のままで置いといてはあぶないじゃないか? ゴーガンが置いたのか? ゴーガン、ゴーガン……ゴーガンは、どうしたんだ? もう寝たのか?
ヴィン ……(ヒョッと何かを思い出すが、自分でも何を思い出したのかわからないで、妙な表情をしている)
ヴィンセントの声 いけない。あぶない! あぶない、こんな所に置いといては!
ヴィン ……(恐怖の顔、遠くの鐘の音にはじめて気づき、ビクンとして聞き入る)
ヴィンセントの声 なんだ、あれは? 今ごろ、今ごろミサがあるのか? いやいや、あれは俺の心臓の音だ。いや違う、あれは俺の頭の中で鳴ってるんだ! ……俺は気が狂ったのか、すると? どうして俺はこんな所に立っているんだ? いや、いや、今は、夜だ。俺はこれから寝るんだ。そうだ、俺は気が狂っているんじゃない! 俺は正気だ、チャンとしている! 俺は正しい! なあに、俺の精神は、カンカラン、カン、カラン、え、なに? 俺の精神は、俺は――
ヴィン ……(カミソリをランプを持った左手に持ち添え、ポケットから出したクレヨンで、すぐそばの正面の壁に、ブルブルふるえる手で急いで大きく書く。「おれは聖なる魂なり。おれの精神は、健全なり」……。その自分の書いた字を見ている。遠くから潮が寄せるように再び起るハミング。鐘の音はやんでいる)
ヴィンセントの声 さあ、もう寝ないと! 明日はまた早く起きて描かなきゃならない。よく寝ておかないと、また頭が痛んで、うまく描けないぞ。向日葵を仕上げるんだ。明日は向日葵を仕上げるんだ。早く仕上げてテオに送ってやらなくちゃ。あれを見たらテオは、きっと喜んでくれる! テオ、テオ、テオ、テオは向日葵を見れば、テオは立派な兄を持ったと思って、テオはよろこんで、テオは今まで仕送りをした甲斐があったと思って、テオは、テオ、テオ、テオ、向日葵、向日葵
前へ
次へ
全19ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング