ウんには、いつも、ありがたいと思ってる。……でも僕は時々、自分が絵かきになったのは間違っていたんじゃないかと思うことがある。もう、よしちまおうかと思うことがあるんだ。実際、人に厄介をかけるだけだ。こうしていると。……しかし、よせない。絵を描かないではいられない。人から誰一人、認められなくても――
タン 認められないなんて、そんなことはありませんよ。現にロートレックさんもベルナールさんもモリソウさんも、あなたの絵を認めています。たった今さっきも、この絵を、モリソウの奥さんなど、綺麗だって、そりゃあなた――
ヴィン モリソウさんは、ありゃ君、絵は描くが、結局は金持の奥さんで、僕らの行き方とは違う。それから、ロートレックやベルナールが、そう言ってくれるのは、友達だから、同情すると言うか、憐んで褒めてくれてるのかも知れない。
タン そりゃ、疑い深か過ぎると言うもんですよ。じゃゴーガンさんは、どうです? ゴーガンさんは、あなたの来る前には、この絵をえらく褒めていましたよ?
ヴィン ゴーガンが褒めた? ホントかね? 何と言って?
タン よく憶えてはいませんが、ゴタゴタして下手な所もあるが、しかし、良い絵であることは間違いない。敬礼しろとか何とかってね。ホントです。
ヴィン ふうん。……だのに、僕の前で、どうしてあんなにくさすんだろう?
タン そこんところは、わかりませんねえ。変りもんですからねえ、なにしろ。
ヴィン ……ゴーガンは天才だ。しかし、意地が悪い。あの男の気持は僕にはわからない。しかし見ていると、あの力強い無愛想さに僕は引きつけられる。それでいて時々腹の底から憎くなる。……尊敬している。しかし先刻みたいなことをされると、畜生! と思う。……あれは小父さん、気ちがいだ。
タン (笑う。そして笑えるような空気になったことを喜んで)ハハ、向うでは、あなたのことを気ちがいだと思っているかも知れませんな。
ヴィン (これもチョット笑って)……だけど、ゴーガンは小父さんに金を借りて行ったが、昨日から何も食っていないんだって? ホントにそんなに貧乏なのかな?
タン そうらしいですね。食い物がないのはチョイチョイらしいですよ。
ヴィン 家の奥さんの方からは、金はよこさないんだろうか? だって、家は金持なんだろう?
タン さあ、金が有ると言っても、奥さんと子供さんたちがやって行ける程度じゃないですかねえ。よしんば、家からよこすと言っても、あの気性じゃ受け取りはしないでしょう。
ヴィン あれだけの偉大な絵かきが、食う物がない。……畜生! 世の中の人間はみんな阿呆だ! と言っても世の中の人間が急に変ったりはしない。とすると、やっぱり僕が始終言っている貧乏な画家が集まって共同生活をする計画を一日も早く実行する必要がある。
タン 共産コロニイですか? そりゃ出来ればよござんすけどねえ。
ヴィン 出来るとも、皆がその気になれば。そりゃ初めは理想的に行くまい。だから初めは気の合った者が二人でも三人でも集まって――そう、パリじゃまずい、田舎へ行く。そこで、みんなセッセと絵を描いて、それをパリへ送ってテオの手で売って貰う。誰の絵が売れてもその金はコロニイ全体の収入として、それで食料や絵の道具を買って、それを皆が入用なだけ使ってやって行く。どうだね? ゴーガンやベルナールにも話したら、不賛成ではないようだった。
タン 場所は南の明るい所が良いですね。いっそアルルはどうです?
ヴィン そうなったら、小父さんも一緒に来ないか?
タン 行きたいですね。しかし、こう老いぼれては、駄目でさあ。それに店も有るし、第一、家の奴が何と言うか……(奥の方をうかがう)
ヴィン コンミューンの勇士が、何をいくじないことを言うんだ?
タン それを言わないで下さい。あれも若い時の血気と言うもんで――
ヴィン だって嘘じゃないんだろ? 普仏戦争終り、パリにコンミューン新政府樹立さる。人はすべて自由に平等の権利を以て生れ、かつ生活す、か。自由、平等、博愛。ガンベッタ万歳! ……共和万歳! ヴェルサイユの軍隊を向うにまわして小父さんは市街戦をやったと言うんだろう?
タン なに、市街戦と言っても――私など、遂に人を殺すことは、ようしませんでしたよ。気が弱くって、ハハ。つかまってサトリイに送られ軍法会議にかけられ、ニュー・カレドニヤに流されることになっていたのを、アンリ・ルーアールさんが運動して下さって釈放されたと言うのも、つまりが私が兵隊を殺したりはしなかったせいでしょうな。とにかく、今から思うと二十年前、あれもこれも夢でさ。
ヴィン でも、フランスの飢えた平民のために戦った小父さんの気持は、今でもチャンと残っている。この店だって、これが有るために僕ら貧乏な絵かきが、どれだけ助かっているか知れやしない。僕はそう思うんだ。世の中が、たとえどう変ったって、平民が、つまり貧しく働いている人間が幸福にならなきゃならんと言うことは、いつでも、どこでも真理だと言うことだ。僕も貧乏だ。そして貧乏な人間を絵に描く。僕は金持とは縁がない。貧乏人が一人でも食う物がなくて泣いている時に、僕だけが天使の絵なぞ描いて自分だけで良い気持に幸福になってはいられない。(先程の陰鬱な、状態から、いつの間にか再び昂奮状態に入っている。その変化の波の激しさ)
タン そうですとも! 全くです! 今の世の中で、一日五十サンチーム以上で暮している奴は、みんな悪党ですよ!
ヴィン それでペール・タンギイだ。よし、描くぞ。(低い鼻歌で「マルセーズ」のメロディを口ずさみながら、カンパスに向う。モデルに坐っているタンギイも、それに和する)……アルモニイ。統一。……トーンがない? ……そうか。畜生! ……(無意識に独語しながら、眼をギラギラ光らせて、モデルを見ている。モデルは動かないで「マルセーズ」を低くハミングしている)ねえ小父さん、その壁の、こっちのは、ウタマロだったね?
タン そうですよ、こっちがウタマロ。ウタマロ。そして、こっちがイロシゲだそうです。
ヴィン イロシゲ。……うむ。(唸って、その浮世絵を睨んでいる。不意に立ってツカツカと、その縁の前に行き、噛みつくように顔をくっつけて見て)どうしてこんな単純な、こんな深い色が出せるんだろう? え? この絵具は一体これは何だ? こんなに明るい、そして落ち着いた色は? え? ……日本へ行きたい。俺は日本へ行きたい。……(サッと自分のカンバスの所にもどって来て、自分の絵を睨む)……そう、落ち着きがない! ……たしかに、アルモニイがない。(唸っていたが不意に絵具箱から大きなパレット・ナイフを取り上げて、生がわきの画面をガスガスとけずり取ってしまう)
タン あ! なにをなさるんだ、ゴッホさん!
ヴィン フフ、なあに。初めから、やり直すんだ。小父さん、動いちゃ、いけない。(手早く、新しい絵具をパレットにしぼり出し、並べる)
タン しかしあなた、頭が痛いんじゃありませんかねえ?
ヴィン セルリアン・ブルー。もっと明るいカドミュームをくれ。そいから、ブルー・ド・プルッスと。ええい、くそ!(とパレットの端にこびりついた絵具を指ではじき飛ばし、カンバスとモデルをキッと睨んで筆をおろす)……フフ。くそ!(ニヤニヤしたり、怒ったり、つかれたように描き進む)
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――はじめ遠くから、次第に近く、わき起って来る「パストラール」――(ビゼー「アルルの女」第二組曲1パストラール)が高く鳴り響くうちに――
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4 アルルで
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――この場は、最後のくだりをのぞけば全部輝かしい風景だけ。ヴィンセントの声だけが、六つの風景が移り変って行くのを縫って語る。(このヴィンセントの声は、観客の背後、劇場の入口の発声機から流れ出て来なければならない。即ち、われわれは、その風景をヴィンセントが描いたところの、そしてそれは今日残っているヴィンセントのアルルでの作品をそっくり引伸して拡大した風景を、ヴィンセントとともに眺めながら、ヴィンセントの語るのを聞いていることになる。――スライド使用)
――遠ざかり行く「パストラール」のうちに。
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「アルルの平野」
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この上もなく明るい空の下に拡がっている田畑の絨毯模様と、気の遠くなるように快い地平の曲線。
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ヴィンセントの声 (落ちついて快活な)愛するテオよ、俺はやっとアルルに来た。暖かい、明るいアルルに俺は居る。太陽の光と、物の色と、土の匂いの中に立っている。そうだ、あのヴォルテールがコーヒーを飲んでいる間に喉が乾いてしまったと言ったという、実に輝かしい太陽の光だ。君は到る所で思わず知らずゾラとヴォルテールを感じるだろう。南は実にはつらつと生きている! この土地では農場や村の居酒屋も北フランスほどに物うげでなく、悲劇的でもない。暖かさが貧乏の辛い味と憂うつさを和らげ割引いてくれる。おお、これらの百姓家と、その麗わしく深紅の大輪のプロヴァンスの薔薇よ。また葡萄と無花果よ。すべては詩だ! そして永遠に明るい日光もまた――しかもその日光の明るさにもかかわらず、樹々の茂みは常に深々とした緑!
テオよ、俺は堅いパンと牛乳と鶏卵で暮している。暖かさが俺の体力を取りもどしてくれた。俺は他の人たちと同じように丈夫になった。土方やペール・タンギイや、老ミレエや百姓のようになったよ! あの貧乏で、身体を悪くしていると言うゴーガンが、早くここへ来るようにと、いくら俺が手紙を出しても、まだやって来ないのは、なんと残念なことだろう! ここへ来ればゴーガンは丈夫になる。一緒に安あがりに暮せる。ゴーガンも俺もドンドン絵が描ける。それが売れる。すればテオよ、お前にかける厄介も少しずつ軽くなる。早く来るように、お前からもゴーガンにすすめてくれ。
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「二本の李の樹」
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ヴィンセントの声 (すこし早口で)テオよ、こちらでは、毎日良い日が続く。と言っても天気のことではない。天気は、アルルでは風のない静かな一日に対して風の日が三日つづく。この風を土地の人はミストラルと言う。恐ろしくイライラと神経をかき立てる風だ。だが、花の咲きそろった果樹園は早く描かないと、待ってくれない。だから俺は地面にくいを差して、それにイーゼルを縛りつけて、風の中でも仕事をしている。俺はドンドン、ドンドン描いて行く。ライラック色の耕地、赤い色の葦の垣根、かがやかしい青と白の空に伸びている二本のローズ色の李の樹。これは恐らく、俺の描いた一番良い風景だ(言葉の調子がシンミリと沈んで来る)……ちょうどこの絵を描きあげて、黄色い家に持ち帰ったら、モーヴが死んだことを知らせる妹からの手紙が来ていた。モーヴは最後には俺を突き放した。しかし親切な良い人間だった。何か――それは何だか俺にはわからないが――俺を捕えたものがあって、俺のノドの奥に塊のようなものが、こみあげて来た。俺はこの絵に描き入れた。「モーヴの想い出のために。ヴィンセントとテオ」。もし君が賛成ならば、これを俺たち二人からモーヴ夫人に贈ろう。俺にはモーヴの想い出についてのすべてのことは、直ちに和やかな明るいものにならなければならぬ。そして一枚の習作でも墓場の暗い感じを持たせてはならぬと思う。
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死者を死せりと思うなかれ、
人々の生ある限り、その中に
死者は生きむ、死者は生きむ。
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「英国橋」
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ヴィンセントの声 (神経的に快活な)テオよ、今日俺は、青空にクッキリと輪郭を浮べている「はね橋」と、その上を渡りかけている小さな荷馬車との油絵を描き上げて帰った。河水も同じ青、河岸はオレンジ色で、緑の草が繁り、野良着を着て色とりどりの
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