。こいつは下手クソだがホンモノだよ。土人の絵だ。真人間の描いた絵だ。これがゴッホの正体だよ。だからあの男は、うわつらはヒステリィ猿だが、シンは真人間だよ。憐れんだりしていると、罰が当るぞ。帽子を脱いで、この絵に敬礼してればそれでいいんだ君たちは。
テオ (感動して立ち上っている)ほ、ほんとうですかゴーガンさん? ほんとうにそう思いますか? すると、兄は、兄は、もう立派な一人前の画家になったと思ってもよいのでしょうか?
ゴー なんですか? ……(不愉快そうな顔でそちらを見る。テオの感動が、この男には軽薄に見えて、不快なのである)
テオ いえ、もしそうだとすれば、私は弟としてどんなに嬉しいか! ありがたいのです! 兄のことを、めんどう見て来た甲斐があって私は、この――ゴーガンさん、ありがたいのです! 私は、私は兄のためなら、どんなことでもします! どうか、頼みます、兄のことを、ゴーガンさん、よろしくお願いします!(パラパラと涙を流し、ほとんどオロオロせんばかりに言う)
ゴー ふむ。……(相手を全く軽蔑して、ムッとして、三、四歩テオを避けながら)どんなことでもしますと言っている人が、ホンの先程までは、一緒に暮すことさえ出来ないと言っていた。
テオ (相手の言葉を理解しないで)兄のためなら、私は私の持っている一切のもの、血液を全部でも、命でも、やります! どうか頼みますから――
ゴー (彼は彼で、そう言う矛盾した子供らしいテオの姿の中に在る真情の偉大さを理解せず、テオの涙はただ感傷的な三文芝居のように見えるだけなので、ほとんど怒って)ユーゴー好みの抒情詩か。ふん。そんなふうに、チンコロみたいに騒ぐのは、私は好きませんよ。あんたとヴィンセント君が、そう言うふうにもつれ合って、キャンキャン、キューキューやっているのを見ると、両方とも一緒に踏みつぶしてしまいたくなるね私は。
ロート ハ! まさに土人だ。いや蕃人だね。
テオ え!(けげんそうにゴーガンを見るが、相手が冗談を言っていると思って、モリソウとタンギイとともに笑い出す)
ベルト でも、なんじゃありません、テオドールさんのお兄さんに対するお気持は、あたし、わかりますわ。今どき、あなた、兄さんに良い絵を描かせるために、自分を何もかもギセイにしている人なんか、ザラに居るでしょうか? それは単に兄弟だからとか、センチメンタルな愛と言ったことなどより偉大なことじゃないかしら? 私はそう思うの。ゴーガンさん、あなたがどんなに賢い方でも、世の中には、あなたにわからないことだって有ってよ。
ゴー なに、そうじゃない。私が賢いから、わからないことがあるんですよ。その証拠に私は三十過ぎまで証券屋だった。そいつをいっぺんに放り出して絵描きになった。ところが、あなたの御主人は現に一流の銀行屋でさ、マネエのモデルをしていたあなたと結婚して、ぜいたくさせて着飾らして絵画を描かして、膝の上にのせて、撫でまわして、ヒュンヒュン言わして、おしあわせそうだ。へっ、そこいらが、私にはわからないですよ。
ベルト まあ!(真赤になっている)
ロート 無礼なことを言うと承知しないぞ、蕃人め。
ゴー 無礼じゃなくて賛辞を呈しているんだよ。
ベルト ええええ、あなたが、私を軽蔑なさっていることは知っていますとも。あなたは、すべての人を軽蔑なさるんです。特に女をね。よござんすとも。しかしお気をつけなさいよ、最後にあなたは、地獄に落ちますよ。
ゴー 地獄じゃなくて極楽に落ちますね。また、女を軽蔑したりもしません。ただ私の尊敬する女はあなた方じゃない。御存じですかね、マルチニックの女の腰は、あなたの腰の二倍はあります。
ロート (表の通りに目をやっていたのが)そらそら、チンコロが帰って来た!(一同がそちらを見る)

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奥の、店先から少し離れた明るい通りに七つ道具をさげた二人の画家が立ちどまって何か語っている。写生帰りのシニャックとヴィンセントで、シニャックは普通の画家らしい身なりだが、ヴィンセントは鉛管工夫などの着るナッパ服にあちこちに絵具のくっついたのを着ている。話しているのは主としてヴィンセントの方で、それもただの話しようではなく、夢中になって、足を曲げたり、手に持った濡れたカンバスを振りまわしながら何かを説き立てている。それが声は聞えないので、まるでギニョール芝居を見ているようだ。――語り合いながら、戻って来たのが、話に熱中して、立ち止ってしまったのである。
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ロート なるほどキリキリ舞いをしておる。
テオ ああなんです。夜まであの調子で――
エミ 全体、なんの話をしているんだろう?

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ちょうどその時、こちらへ向ってまた歩き出したシニャックとヴィンセントのわきを通りかかった中年の男が、ヴィンセントの振りまわしたカンバスに突き当りそうになって、びっくりして飛びのく。
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おかみ あらま!
ロート ヘヘヘ!
ベルト ホホ、ホホ!
テオ (哀願するようにゴーガンを顧みて)ね、ゴーガンさん、あの調子なんです。なんとかして、お願いですから、兄が少し落ち着くように仕向けてくださらないでしょうか? あなたのおっしゃることなら聞くんです。どうぞ一つ――お金の要ることなら、私何とでもしますから。……(ゴーガンは返事をしないで、壁の浮世絵を見ている)ええと、では、私はこれで失礼します。ここで私に逢うと、兄はまた昂奮して、私を離そうとしませんから。これから私はまだ商会の方に仕事が残っているもんで。おかみさん、すみませんが[#「すみませんが」は底本では「すみまんが」]、裏口から出させて下さい。(おかみが売台の所から立って来る)ではみなさん……(とベルトと一同に会釈をし、おかみを先に立てて上手の通路から出て行く)
ロート どりゃ、われわれも、タンブランの方へ行くか。(言っている所へ、ヴィンセントとシニャックとが店に入って来る)
ヴィン (話しをつづけながら)いいやシニャック、君はまだわかっていない! 僕の言うことがわかっていないんだ。ギョーマンは、そりゃ、すぐれた画家だ。技術的な点では文句のつけようがないし、もちろん本質的にもすぐれた点を持っていることも確かだ。しかし、絵には、絵となってしまってからの、いろいろのことの前に、つまり絵画以前の問題として、もっと大事なことがある。それが一番大切だと僕は思うんだ。どんな風に見て、どんな風に描くか、どんな風に色を塗るか、どんなエフェクトを狙うかとかなんとか言うのは問題ではないんだ。いやいや、勿論それらも大事ではあるが、それよりもさらに大事なことがありはしないか。え、そうじゃないか? マネエは光それ自体を描く、セザンヌは自然を分光器にかけて描く、ゴーガンは色を追いつめ還元して描く、スーラは分析して点で描く。どれにも真理はある。しかしだよ、考えて見ると、しようと思えば、そのどれで描くことも出来るじゃないか? そうだろう? だから、逆に言うと、どれで描いてもよいのだ。技法はどれを使ってもいいと言える。(熱してしゃべっているので、店内に居る人たちを眼で見ながら見ていない)
シニ (これは一同を見て、一人一人に黙礼でうなずきながら)しかしね、マチェールは結局、その画家の本質に根ざしたものなんだから、その画家の個性そのものだと言えはしないかねえ? 少くとも個性の一部分じゃないかな。
ヴィン ちがうよ! ちがうんだ! いやいや、君の言うのは、それはそうさ。たしかに、マチェールは画家の個性そのものだ。僕の言うのは、そのことじゃないんだ。つまりね、つまり、どう言えばいいのかな? そうだ、画家が絵筆を取る前に、その画家の中に準備され、火をつけられて存在しているものだ。そのことなんだ。つまり、画家の生命そのものだよ。それが、どっちの方向を向いているかと言うことだよ。それが、どんな色で燃えているかと言うことだよ。何をどんな風に描くかと言うことを、最初に――そして、だから最後にだ、決定して来るもののことだよ。マチェールはその次だ。その一番大事なもののことなんだ。それがギョーマンに欠けている。不足している。僕はそう思うんだ。ギョーマンは良い画家だけど、それが不足している。すくなくとも、昨日あの人が見せてくれた「砂利人夫」には、それがない!
シニ しかし、僕にはあの「砂利人夫」は良く描けていると思ったがなあ。
ヴィン 良く描けているよ! そりゃ、そうだ。それを否定しているんじゃない。そうじゃないんだ。わからんかなあ、僕の言うのが? つまりね、つまり、ギョーマンは、労働している、砂利をシャベルでしゃくっている労働者を描いているんだよ。そうだろ? 労働者と言う、この、ホントの人間を描こうとしているんだ。だのに、ギョーマンは、ただそれを、花だとか樹だとか言うものと同じようにだな、つまり美の素材、絵の対象としてだけ描いている。それは間違っている。花や樹を描くんだって、実は、そうであってはいけないんだが、人間を描くのに、それでは間違いだ。現に、そのために、あのギョーマンにして、絵がウソになっている。虚偽だよ。どんな画家だって、美のために虚偽を犯してよいとは言えない。そうじゃないか、だって、あの「砂利人夫」が、シャベルをこう持ってだな、腰をこうして、左足をここに置いて、こうやっているのは、あれはウソだ。僕は炭坑に居たし、いろんな労働者をよく知っているから、言えるんだ。こうしてだね、シャベルがこうなっていれば、左足はだね、ここまで行っていなければ、砂利は投げられない。つまり、こうして――(手のカンバスを振りまわし、イーゼルをシャベルに仕立て、肩からさげた絵具箱をガラガラ鳴らして夢中になって仕方話)
エミ (驚き、微笑しながら聞いていたが、振りまわされるカンバスでなぐられそうなので、わきにのいて)おっと、あぶない!
ヴィン エミール、ちょっと、これを持っていてくれ!(サッとカンバスをベルナールに渡す。渡す拍子に、カンバスの表がわきにかけていたベルト・モリソウの肩をこする)
ベル あら!(ヒョイと見ると、その純白の上着の肩から胸へかけて、眼がさめるような原色の油絵具がベタベタと散らし模様のようにくっ付いている)
タン こりゃ、どうも!
ベル まあ!
ロート わあ、ベルトさんの胸に花が咲いた!
ゴー はは、ハハ!
ヴィン どうも、これは、失礼しまして、モリソウさん、あの――ええと――(あわてて、ベルトの肩を掴んで、自分のナッパ服の袖で拭き取ろうとする。するとなおいっそう絵具はひろがってしまう)
ベル いいんですの、いいんですの。いいえ、ようござんすから。ホホ、まあ! いいえ、ようござんすから。ホホ、ホホ!
ヴィン 失礼しました。許して下さい。つい、どうも――
ロート (笑いながら)全体君、なんの話をしているんだ、ヴィンセント?
ヴィン いや、昨日、シニャックと一緒にギョーマンの所へ行って見せてもらったんだ、その「砂利人夫」と言う絵を。良く描けていた。良く描けていたけど、僕に言わせるとだな――
シニ その人夫がシャベルで砂利をおろしているのが、デッサンがちがっているとゴッホ君が言い出してね――
ヴィン だから、こうしてだね。これがシャベルだ、砂利は重いんだよ。石炭も重い、石炭よりも砂利は重いんだ。だから、こんな風に足をふん張ってないと、しゃくって投げることは出来ない。それをギョーマンは、こんな風に、左足をこんな位置に描いている。間違いだ。虚偽だよ。虚偽はどんなに美しく描いてあっても、美ではない。だから、手がこう構えていれば、腰はこうなって、足は――(しきりと仕方話で、イーゼルを振りまわす)
ベル もう、よして下さいゴッホさん。(笑いながら)ブラウズはよごされても結構ですけど、イーゼルで突き殺されたくはないわ。
ヴィン だって、そうじゃありませんか、ベルトさん。あ
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