? やることがよ? 自分には三文の得にもならねえ――言って見りゃモグラモチみてえな俺たちのめんどう見るために、お前、この半年の間にまるきり裸かになっちまったぜ、あの人は。住む所だって、こうだ。壁に絵がはりつけてあるから、ちったあごまかせてるけど、まるでへえ、なあんにもねえしよ、俺たちのどこの家よりも、ひでえよ、こいじゃ。
ヴェルネ うむ、変っていると言やあ変ってる。これまで宣教師もいろいろ来たが、あんな人は初めてだ。自分ではなんにも言わねえから、どんな量見だかサッパリわからねえが、並大抵のことであんなに夢中になって、お前、俺たち坑夫のために尽すこたあ出来るもんでねえ。内のハンナに、いつだったか、エス・キリストさまのしたのと同じことを自分はするんだと話して、涙あこぼしていたそうだ。
アンリ へえい、キリストさまと同じことをね?
ヴェルネ そう言ってたそうだ。俺にや何のことやらサッパリわかんねえ。なんでもブリュッセルや、そいからロンドンにも居たことがあるそうだ。
アンリ やっぱり宣教師でかね?
ヴェルネ いや、なんかこの、親戚の、絵を商ってる店に勤めていたそうだがな、うむ。
アンリ 道理で(壁の上の絵を見まわす)こんな絵を持っているんだなあ。
ヴェルネ なんしろ、きとく[#「きとく」に傍点]なじん[#「じん」に傍点]だ。自分の慰さみと言っちゃ、時々鉛筆なんぞで絵を描いてるぐれえで、着る物も食う物もあの調子、酒一滴飲むじゃなし、何がおもしろくって、こんな所でああしてるか。
デニス なあに、そいで自分で良い気持になっているんだい。俺たち労働者を救ってやろうてんで、つまり今言ったキリストと同じことをして福音をひろめると言うんだろう。汝自らを愛するが如く他人を愛せよか。そいで涙あこぼしたり苦しんで見たりして、良い気持になってるんだ。へっ!
アンリ また言うかデニス?
デニス なん度でも言わあ。世の中にはそういうおかしな人間も居ると言うことよ。当人は大まじめかも知れねえが、ホントウは道楽だ。第一おめえ、救うと言ったって、宗教だとか坊さんの力なんぞで俺たちのこんなありさまが、一体全体、救えるかよ? 冗談も休み休み言うがいいんだ。俺たちを救えるなあ、俺たちだけしきゃねえんだ。それによ、あの人の言うことあ決ってらあ。人はパンだけで生きるものに非ず、貧乏な人間が貧乏の中に福音を信じ祈りに生きてりゃ、いつかは神の祝福がある。へっ! だから、爆発で人がこんだけ死んでも、ただ祈ってろ。慰藉料を会社が三十フランずつしきゃ出さなくても、がまんしてろ。日給二フランと五十サンチームを三フランに値上げすることなんぞ要求するな。あべこべに二フランに値下げしようと言う今度の会社のやり方にも、御無理ごもっともで黙って働け!
アンリ ちがうぞ。ちがわあ! 今度の値下げについて黙っていろなんぞと、ここの先生は言ってねえ。三フランなきゃ暮しは立たねえとハッキリ言ってたぞ。今日もそのことを掛け合って来るんだって出かけたんじゃねえか。
デニス へへ、今に見な、チャーンとお前、バリンゲルにやりこめられて戻って来るよ。そして、会社の言うなりに、ストライキやめて働きなさいと説教するよ、きまってら。坊主なんてものは、どんな立派な坊主でも一人残らず、会社だとか金持の奴らの手先になって、俺たちをトコトンまでしぼり上げるための道具だい!
アンリ デニス、大概にしねえか!(今度は本気に怒って腰かけから立ちあがって、デニスの方へ詰め寄る)いつまでも先生のことをそんなふうに言やあがると――
デニス いくらだって言ってやらあ、俺あな、あんなインチキ坊主なんぞ――
アンリ ち!(デニスのえりがみをガッと掴む)
ヴェルネ おいおい!(立って行き、二人の間に割って入ってとめながら)いいかげんにしねえか! この大事な時に組合の代表のお前たちが、そんなことでどうなるんだ? いいから、やめろ!
アンリ 言わして置きや、ワッパのくせに、あんまり利いたふうな――
ヴェルネ まあさ! いいんだ、いいんだってアンリ!(そこへ入口の扉が外から開いて、ヴェルネの娘のハンナ「十四、五歳」と牧師ヨングが現われる)
ハンナ あら。(びっくりして口の中で言って)……おとっつあん!
ヴェルネ ……(そちらを見る。つかみ合いになりそうだったアンリとデニスも突っ立ったまま、入って来た二人を見る)どうしたんだハンナ?
ハンナ あのこちらの、あの――(とヨングを顧みる。ヨングは肥満した身体に、白い襟に黒の僧服をつけ、自足した落ちついた態度で、室内を見まわしている。三人の男が喧嘩でもしていたらしいことをすぐに見て取ったのだが、それに対して軽蔑の表情も現わさないほどに冷静である)
ヴェルネ ええと――(二、三歩出てくる)
ハンナ あたし、案内して来たの。あの、ブリュッセルから、おいでになって、ここの先生に会いたいからって。おっ母さんが、ご案内しろと言うから――
ヴェルネ そうか。……(ヨングに)そいつはどうも失礼いたしました。そうでございますか。そりゃまあ、遠い所を。まあま、おかけんなって。どうぞ。(と椅子をすすめる)
ヨング ……(僧服のすそをめくって、椅子にかけ)ベルギイ福音伝道教会ブリュッセル委員会から参った者です。ふむ。
ヴェルネ そりゃまあ、ようこそ――この、なんでやす、わしら、こちらの先生からいろいろお世話になっております坑夫でございまして――わしはヴェルネと申しまして、こっちに居ますのは――
ヨング ああ、よろしいよろしい、かまわないで下さい。ふむ。(と全く相手にしない)ここが、たしかにヴィンセント・ヴァン・ゴッホの住いだな?
ヴェルネ はいさようで。ここでございます。ええと、今日は、なんでございます、先生はチョットこの、よそに――チョット出かけていられまして――わしらも、こうして待たしてもらっているようなわけで――(ヨングの眼がジロリと老婆の方へ行くのを追いかけて)これはバコウと言いまして、亡くなったせがれのために、こちらの先生に御祈祷をあげてもらうために――
ヨング よろしいよろしい。私も待っていましょう。ふむ。(その癖のふむという鼻声が、相手を全く無視して、取りつく島がない)
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間。老婆が口の中でブツブツと祈っている声。
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ヴェルネ (マジリマジリしていたが、やがて娘に)ハンナ、そいで、なにかな、長屋のみんなは、どうしている?
ハンナ うん。四十人ばかり、小父さんやおかみさんが、かたまってね、事務所の前に居る。日給は今まで通りでいいから、入坑させてくれって、そう言って。フランシスの小父さんが、みんなを代表して事務所に頼んでいるんだって。
ヴェルネ そうか。フランシスがか?
アンリ そいつは、まずい! まずいぞ、そいつはフランシス! 俺たちが行くまで、どうして待ってくれねえんだ。そんなことすりゃ、会社の奴あこっちの腹あ見すかしてしまって、出来る話が出来なくならあ! なんとかしねえじゃ、そいつは、まずいぞ!
デニス 見ろ、鼻の先から、そう言う奴らが居るんだ。フランシスの裏切野郎!
ヴェルネ まあまあ待て。(ハンナに)そいで、ほかの連中はどうしている?
ハンナ うん、ほかの家じゃ、山へ草の根掘りに出かけたり――そうだわ、十人ばかり、坑口の炭車の所にかたまって、モータアなんか叩きこわしてしまえだって――
ヴェルネ え?(立ちあがっている)モータアを叩きこわす?
アンリ (これもギクンとして立ちあがっている)いけねえ! そいつは、いけねえ!
デニス やれやれ! 叩きこわしてしまえ! こんな腐れ炭坑なんぞなくなっちまっても、かまやしねえんだ!
アンリ デニス、何を言うんだ、きさま! 俺たちはここの炭坑といっしょに永年生きて来てるんだぞ。炭坑がつぶれて、どうして俺たちあやって行ける?
デニス へっへへ、いいじゃねえかよ! 炭坑が在ったって俺たちは生きては行けねえんだ。同じことだ。そうじゃねえか? どっちに転んだって、俺たちあ、神さまに見放された人間だい。
ヴェルネ まあ待て。こいつは何とかしなきゃ、ならねえ。……アンリ、お前、すまんけどな、すぐに坑口の炭車の所に居る連中の所へ走って行ってくれ。俺もすぐ行くから、それまで、無茶なことはさせねえようにお前からそう言って。
アンリ よし、大丈夫だ。
ヴェルネ そいから、ハンナ、お前な、おっ母あにそう言って、事務所の前に居る連中の所にすぐ行くようにってな。とにかく、俺がここの先生の返事を待って、すぐに行くから、それまでフランシスに、そのままで待っていてくれって、そう言うようにな。わかったか?
ハンナ わかった。お母さんにそう言うだね?
ヴェルネ そうだ。走って行くんだ。(ハンナとアンリが小走りに扉から出て行く)
デニス いいじゃねえか、ヴェルネのとっつあん。なるようにしかならねえよ。第一、モータア叩きこわすだなんて騒いでいても、どうせそんなこと出来るもんか。そんだけの元気がありゃ、とうの昔にストライキだって何とかなっているんだ。ウジ虫だ。ウジ虫が、コエつぼの中でただウジャウジャと騒いでいるだけだ。
ヨング ふむ。あんたは、この、ずいぶん勇敢なことおっしゃるが、ふむ――無神論者ですかな?
デニス ……あっしゃ、炭坑夫でさ。
ヨング ゴッホ君の説教は聞いておいでだろうね?
デニス 一度聞いたきりで、それから聞きませんねえ。
ヨング ふむ。……つまり、なにかな、あんたは、神さまは居られないと思っている――?
デニス よくわかりませんねえ。居らっしゃっても、俺たちはウジ虫ですからね、神さまは、あっちを向いて、肥え太って、鼻あつまんで――へへ、臭えからね俺たちは――そいで、俺たちが生きようが死のうが御存じねえらしいんでね。
ヨング 恐ろしいことを言う。ふむ。――涜神と言うことをあんた御存じか?
デニス とくしんと言うと――
ヴェルネ おいデニス、もう、いいかげんにしねえか!(ヨングに)牧師さん、この男は肺病でしてね、もう始終イライラして、いろんなくだらねえことばかり口走る癖がありまして、どうか、お聞きのがしくだすって――
デニス 心配してくれなくてもいいよ、とっつあん。俺あ正気で言ってるんだ。だってそうじゃねえか、神さまがチャンとして居るんだったら、今の俺たちみてえな、ウジ虫以下のこんな有様を、どうして黙って見ていらっしゃることが出来るんだね?
ヨング ふむ。すると、そう言うことをゴッホ君が言って聞かせたことがあるんだな?
ヴェルネ いいえ、そんなあなた、ここの先生は、そりゃもう福音通りにですな、エス・キリストさまと同じように自分が成って、この――
ヨング なに? キリストと自分が同じだと?
ヴェルネ いえ、そうじゃねえ! そうじゃねえんです! ここの先生は、つまり、わしらのことを心配して下すってです、今日なども、わざわざ、会社の支配人の所へ掛け合いに行ってくださって、この――(このヴェルネの言葉の間に、先程ハンナとアンリが出て行った時に開け放されたままになっている扉の、暗いガクブチの中に、足音もさせないで戻って来たヴィンセント・ヴァン・ゴッホが、しょんぼりと立つ。皆それに気づかぬ)
ヨング やっぱり、それでは、あんた方の先頭に立ってナニしているんだな?
ヴェルネ いいえ、そんな、そんなことあねえです。ただ、わしらのことを、この――
デニス わしらのことを会社に売りつけようとなすっているんでさあ。へへ。
ヨング (相手の言うことは聞かない)ふむ。……キリストと同じ……
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その間もヴィンセントは、絶望し疲れ切った姿でボンヤリ立っている。帽子はかむらず、ヨレヨレのナッパ服に、ブリキを巻いて修繕したサボ。ひどく痩せた青い顔。……ヨングの声で、眼の色が動いて、ユックリそちらを見るがそこに居るのが誰であるかよくわからない。
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