フ絵は絵具代のカタにセザンヌから受取ったもんなんだから、家のものだろ? なら売ろうと、どうしようと、こっちの勝手じゃないか。
タン そりゃそうだが、これ、切ってしまうとなると、いかになんでも、この――(客に)決して売りおしみの何のと言うわけじゃございませんが、どうも都合がございまして、今日の所はまことにすみませんが、どうかまあ、ごかんべん下さいまして――
夫 そうかねえ。(しぶしぶと)無理に買おうと言うんじゃねえ。……(妻の腕を自分のわきに取りながら)なんだな、売られないものは店から引っこめとくんだなあ。シュゾン、行こう。
婦 あの、おじゃまさま。(二人、腕を組んで出て行く)
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その後姿が見えなくなるまで、見送っていてから、こちらの三人が同時に笑い出している。
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ロート ヒッ! ヒヒ、ヒヒ!
ベルト ホ、ホ!
エミ ハハハ、ハハ!
ロート 今のを、ヒヒ、今のを、セザンヌに、ヒヒ、聞かせたかった! ワッハハ。
タン (これもニヤニヤしながら)どうも、この――
おかみ (笑っている人々をジロリと尻眼にかけた末にタンギイに)なにが、おかしいんです、また商いをしそこなったんですよ! こんな絵、切って売って、どこが悪いんです?
ロート (テーブルを叩いて喜こんで)まったくだあ、切って売ってどこが悪い! ねえベルト! みんな気ちがいだろう? ハッハハ。(他の三人笑う)
おかみ (これも笑い出してしまって)気がちがっているのは、あんた方だけでございますよ!
ロート そうだそうだ、クサンチッペ万歳! よし、これを一つ献じよう。(ブランディの瓶を差し上げてヒョコヒョコ歩いて、売台の方へ)
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そこへ、表からポール・ゴーガンを先きに、それに後から追いすがるようにして何か話しかけながらテオドール・ゴッホの二人が入って来る。……ゴーガンはドッシリと重々しい感じの大男で、自我を制御する力を持った人間特有の無表情さで、いくらテオから話しかけられても、すましている。アストラカンの帽子に、濃青色の大きなマントに東洋風のステッキ。テオは例の通りキチンとした黒服で、この前より顔色が青い。
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テオ (話のつづき)そういう訳ですから、ゴーガンさん、お願いです。どうか一つ――兄を説きつけることの出来るのは、あなただけなんです。兄はあなたを怖れています。いや怖れていると言うわけではないんですが、つまり尊敬しているのです。一番頼りにしているのです。あなたのおっしゃることなら、何でも兄は聞きます。忠告してほしいんです。お願いですから――このままで行けば兄の頭はどうにかなってしまいます。兄は病人なんです。どうか、ゴーガンさん、あなたの力で――
ゴー フフ。(笑うが、顔は笑わない)私は看護婦じゃないよ、テオドールさん。……(所内を見わたして、ロートレック、ベルナール、ベルト・モリソウ、タンギイなどを目に入れるが、別に目礼もしないで、売台の所のおかみを見て、初めて微笑)やあ今日は、クサンチッペ。
おかみ いらっしゃいまし、ゴーガン先生。(このおかみはゴーガンを見ると妙に機嫌が良い)
ロート そうら、お前の色男が来たぞ! 見ろ、トタンにニヤニヤしやがって。
ゴー どうしたね、伯爵?
おかみ いやだと言うのに、どうしても飲めとおっしゃるんですよ、このブランディ。
ゴー そうかね。(と瓶を取って)のどがかわいた。……(一息に全部をラッパ飲みに飲みほして平然としてカラの瓶をおかみに返す。酒を飲んだような顔もしていない。その間にテオは、ベルトやベルナールに目礼する)
ロート ちえっ、タヒチの種牛め!(フラフラと元の椅子の方へ)
テオ (再びゴーガンに)ねえゴーガンさん、お頼みしますよ、この調子でやって行けば、兄は今にどうにかなってしまいます。目に見えているのですそれが。それに、私も、もうたまりません。兄がパリへ出て来てから私は、こうしてあなた、目方が五キロから減りました。たまらないのです。このままで行けば兄も私も共倒れになります。
ゴー 追い出したらいいじゃないか。
テオ それが、そ、それが出来るくらいなら、こんなに私苦労しやしません。兄は今絵のことで夢中なんです。まるで頭が絵のことだけで燃えるようになっていて、ほかのことを考えることが出来ないんですよ。何か話しても、まるきり相談にはならない。わかってくれようとはしないんです。兄としては、それも無理ないんです。オランダから、いきなりこっちへ来て――私がまだ早いからといくら止めても聞き入れないで、勝手にいきなり飛び出して来て、そして、あなた方の、この、印象
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