hの皆さんの明るい色の中に叩きこまれて、カーッと昂奮してしまったんですよ。色を掴むんだ、太陽を手に入れるんだと言うので、あなた、がりがりと一日に五枚も六枚も描き上げているんです。見ていると、可哀そうになるんです。……兄の気性を知っているので、無理もないと思えば思うほど、私は兄が可哀そうになるのです。……私は兄を愛しています。
ゴー (ニヤリと微笑して)そう言う話は好かんな私は。大体、ヨーロッパのこの辺の人間が、愛するなどと言うと、こっけいでね。人を愛することの出来るのは、まあタヒチの女だけだな。
ロート それと種牛だけだろう、へっ、まったくだ!
ゴー そうだよ、トゥルーズ。
テオ いえ、私は、何よりも誰よりも、時によって私自身よりも兄を愛しています。嘘ではありません。
ゴー じゃ、追い出さないで、一緒に暮すんだな。(アッサリ言い捨てて、「タンギイ像」に目をつけ、ユックリそちらへ行く)
テオ ですから――いえ、この、そこの所をです、どうしていいかわからないので、お願いしようと思ってあなたにですね――(いくら言ってもゴーガンは「タンギイ像」を無表情な顔をして見ているだけで、取りつく島がない)
ベルト まあ、こちらへお掛けなさいな、ゴッホさん。どうなすったんですの?
テオ ありがとうございます、モリソウの奥さん。いえ、この、兄のことではホトホト手を焼いていましてね、どうしようかと思っている所に、ちょうど、タンブランでゴーガンさんに逢ったものですから、お願いしようと思って、こうして――
ベルト そうですの、タンブランにいらっしたんですの? 私たちは、これから行くんです。どんな具合、それでお客さんは? ちっとは絵は売れてます?
テオ まだ一枚も売れていません。レストランでの絵の展覧会は珍しいので、客はまあ相当来ているようですけど。
エミ すると兄さんもタンブランですか?
テオ いえ、今日は朝から郊外の方へ写生に出かけて――シニャックさんと一緒じゃないかと思います。外に描きに行ってくれると、いくらか助かりますけど、帰って来ると忽ちまた、イライライライラして、とにかく一日中昂奮しているんですから。夜は夜で私をつかまえて、絵の議論です。私はこの、昼間のつとめで疲れていますし、それに身体もあまり丈夫でないものですから、静かにして早く寝たいと思っても寝せてくれません。寝せてくれと言うと、怒り出すんですよ。徹夜して議論を聞かされるのが二晩も続いたりすると、私はもうフラフラで、頭が変になりそうなんです。それに兄には、物を整頓しようなどと言う気はまるでないのです。兄と一緒に暮すようになってから私の室は、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようにメチャメチャになってしまいました。おまけに、絵具をあちこちに置き放す、それを踏みつぶす、着物にまでベタベタくっつくと言うテイタラクで、もうどうしてよいかわかりません[#「わかりません」は底本では「わかまりせん」]。……私はグーピル商会に使われている、平凡な勤め人です。まあ、キチンと生活して、身なりなどもキチンとしていなければならない立場にあります。兄と一緒に住んでいたんでは、到底それが出来ないのです。ホトホト私はもう疲れ果ててしまいました。どうしたらいいでしょうかね、ベルナールさん?
エミ ……(困って)僕にはよくわかりません。以前から兄さんは、今のような調子だったんですか?
テオ そうです。以前から何かに熱中すると、当分カーッとなってしまって、もうまるで夜も寝ないようになるし、ほかの事を忘れてしまうんです。それが続いて、今度はどうにかすると、ガクッと黙りこくってしまって、恐ろしく陰鬱になるんです。するうちに、またカーッとなる。その変り方が激しいんです。何かの病気じゃないかと言った人もあります。……そういう兄の性質を知らないわけではなかったんですけど、極く小さい時以来私とヴィンセントは一緒に暮したことがほとんどないものですから、実はこんなだとは知らなかったんですよ。それに、今度パリに来てからの様子は、これまでのそんな調子とはまたちがっているような気がするんです。私は心配でたまらないんです。ねえ、タンギイさん、どうしたらいいだろう私は?
タン そうですなあ。兄さんと言う人も、あなたも、善い人ですがねえ。
テオ そうなんだ。私はとにかく、兄が善い人間なことは間違いありません。兄としては悪気が有ってしていることではないんです、兄にはああしか出来ないのです。兄自身としては、一所懸命に人のことを考えたり人に親切にしたいと思ってそうしていることが、実際は人を苦しめ人に迷惑をかけているということが兄にはわからないんです。そういう人間です。エゴイスト――まるで、微塵も悪意を持たないエゴイスト――そう言った、わかってもらえるかどうか知
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