生きてりゃ、いつかは神の祝福がある。へっ! だから、爆発で人がこんだけ死んでも、ただ祈ってろ。慰藉料を会社が三十フランずつしきゃ出さなくても、がまんしてろ。日給二フランと五十サンチームを三フランに値上げすることなんぞ要求するな。あべこべに二フランに値下げしようと言う今度の会社のやり方にも、御無理ごもっともで黙って働け!
アンリ ちがうぞ。ちがわあ! 今度の値下げについて黙っていろなんぞと、ここの先生は言ってねえ。三フランなきゃ暮しは立たねえとハッキリ言ってたぞ。今日もそのことを掛け合って来るんだって出かけたんじゃねえか。
デニス へへ、今に見な、チャーンとお前、バリンゲルにやりこめられて戻って来るよ。そして、会社の言うなりに、ストライキやめて働きなさいと説教するよ、きまってら。坊主なんてものは、どんな立派な坊主でも一人残らず、会社だとか金持の奴らの手先になって、俺たちをトコトンまでしぼり上げるための道具だい!
アンリ デニス、大概にしねえか!(今度は本気に怒って腰かけから立ちあがって、デニスの方へ詰め寄る)いつまでも先生のことをそんなふうに言やあがると――
デニス いくらだって言ってやらあ、俺あな、あんなインチキ坊主なんぞ――
アンリ ち!(デニスのえりがみをガッと掴む)
ヴェルネ おいおい!(立って行き、二人の間に割って入ってとめながら)いいかげんにしねえか! この大事な時に組合の代表のお前たちが、そんなことでどうなるんだ? いいから、やめろ!
アンリ 言わして置きや、ワッパのくせに、あんまり利いたふうな――
ヴェルネ まあさ! いいんだ、いいんだってアンリ!(そこへ入口の扉が外から開いて、ヴェルネの娘のハンナ「十四、五歳」と牧師ヨングが現われる)
ハンナ あら。(びっくりして口の中で言って)……おとっつあん!
ヴェルネ ……(そちらを見る。つかみ合いになりそうだったアンリとデニスも突っ立ったまま、入って来た二人を見る)どうしたんだハンナ?
ハンナ あのこちらの、あの――(とヨングを顧みる。ヨングは肥満した身体に、白い襟に黒の僧服をつけ、自足した落ちついた態度で、室内を見まわしている。三人の男が喧嘩でもしていたらしいことをすぐに見て取ったのだが、それに対して軽蔑の表情も現わさないほどに冷静である)
ヴェルネ ええと――(二、三歩出てくる)
ハンナ あたし、案内して来たの。あの、ブリュッセルから、おいでになって、ここの先生に会いたいからって。おっ母さんが、ご案内しろと言うから――
ヴェルネ そうか。……(ヨングに)そいつはどうも失礼いたしました。そうでございますか。そりゃまあ、遠い所を。まあま、おかけんなって。どうぞ。(と椅子をすすめる)
ヨング ……(僧服のすそをめくって、椅子にかけ)ベルギイ福音伝道教会ブリュッセル委員会から参った者です。ふむ。
ヴェルネ そりゃまあ、ようこそ――この、なんでやす、わしら、こちらの先生からいろいろお世話になっております坑夫でございまして――わしはヴェルネと申しまして、こっちに居ますのは――
ヨング ああ、よろしいよろしい、かまわないで下さい。ふむ。(と全く相手にしない)ここが、たしかにヴィンセント・ヴァン・ゴッホの住いだな?
ヴェルネ はいさようで。ここでございます。ええと、今日は、なんでございます、先生はチョットこの、よそに――チョット出かけていられまして――わしらも、こうして待たしてもらっているようなわけで――(ヨングの眼がジロリと老婆の方へ行くのを追いかけて)これはバコウと言いまして、亡くなったせがれのために、こちらの先生に御祈祷をあげてもらうために――
ヨング よろしいよろしい。私も待っていましょう。ふむ。(その癖のふむという鼻声が、相手を全く無視して、取りつく島がない)

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間。老婆が口の中でブツブツと祈っている声。
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ヴェルネ (マジリマジリしていたが、やがて娘に)ハンナ、そいで、なにかな、長屋のみんなは、どうしている?
ハンナ うん。四十人ばかり、小父さんやおかみさんが、かたまってね、事務所の前に居る。日給は今まで通りでいいから、入坑させてくれって、そう言って。フランシスの小父さんが、みんなを代表して事務所に頼んでいるんだって。
ヴェルネ そうか。フランシスがか?
アンリ そいつは、まずい! まずいぞ、そいつはフランシス! 俺たちが行くまで、どうして待ってくれねえんだ。そんなことすりゃ、会社の奴あこっちの腹あ見すかしてしまって、出来る話が出来なくならあ! なんとかしねえじゃ、そいつは、まずいぞ!
デニス 見ろ、鼻の先から、そう言う奴らが居るんだ。フランシスの裏切野郎!
ヴェルネ まあま
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