B
ヴィン 聞えなかった。
ワイセ ごあいさつだ。ひひ!
シィヌ ……(恥じて、大急ぎで、膝の上の衣類で身体を蔽いながら)いらっしゃい。あたし、ちょっと[#「ちょっと」は底本では「ちよっと」]、あの――(困って、後ろさがりに、直ぐ上手につづいている小部屋「寝室」の方へ引っ込む。それを、にがり切って見送っているモーヴ)
ヴィン どうぞ掛けてください。(二人に椅子をすすめる)
モーヴ (突っ立ったまま)ヴィンセント、君は絵を描いているのかね、色ごとをしているのかね?
ヴィン え? そりゃ――
ワイセ 始まったね、モーヴ先生の訓話か。ハハ、そりゃわかりきっているじゃないかね。絵を描く暇々に色ごとをやっておる。または、色ごとをする暇々に絵を描いておる。同じだ全く。そして、それで何が悪い、え、モーヴ?(言いながら室内をブラブラ歩いて壁に立てかけてあるカンバスや半出来の素描などを一枚一枚見て行く)
モーヴ (それには相手にならないで、ヴィンセントに)人にはそれぞれのやり方がある。私も画家だ、人のやり方にうるさく干渉しようとは思わない。なんでもいいから、君が絵の勉強を一所懸命にやってさえくれれば、私はなんにも言わない――
ワイセ だが、案外に良いからだをしとるじゃないか。第一、ちょっとこう、荒れたような肌がいけるよ。五人からの子持ちとは、思えんな。ゴッホ君の好みもまんざらではない。見直したよ。うむ! そもそもこの、女の身体と言うものは――(フッと言葉が切れてしまう。ちょうどヴィンセントが描いていた全紙のシィヌの素描に目が行って、口がお留守になったのである。やがて、そのほとんど完成に近い絵の方へ三、四歩近づいて行き、妙な顔をして見ている)……
モーヴ (椅子にかけて)しかしねヴィンセント、私は君の従兄だ。それに君の両親やテオから、君の絵の勉強の指導をしてくれと頼まれている。つまり私には責任がある。それでこれまで、さんざん、いろんな忠告をしつづけて来た。だのに君は一つも聞いてくれん。石膏像のデッサンをもっとやった方がいいと言うと、アカデミスムはごめんだと言って、私に喧嘩を吹っかけて、石膏像を粉々に叩きこわしたね? いやいや、喧嘩のことはいいさ、とがめようとしているんじゃない。石膏像だって、それほど惜しいとは思わん。アカデミスムはごめんだと言うのもわかる。君も知っているように私自身アカ
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