フ男のことを思い出していたのよ。あんたとこうして居ながらね。そう言う女。だから――
ヴィン そんな、それは、今までのことはどうでもいいんだ。問題はこれからだよ。ね、頼むから、シィヌ、頼むから、もうルノウのおかみさんの所へは行かないと約束してくれ!
シィヌ だって、そんなこと言ったって、お金がこんなになくっちゃ――それにおっ母さんの方の仕送りだってどうすればいいの? あんた、四人の子をおっ母さんにおっつけたまま、そんな――
ヴィン だからさ、それは今に必らず僕が引き取って、絶対にチャンとなにするから――大丈夫だ! ね、シィヌ、僕にまかしといてくれ。僕は正式にお前と結婚するつもりだ。
シィヌ だけどさ――そんなこと言ったって――(ヴィンセントを見ている内に、相手を理解出来なくなっている)……変な人だわねえ、あんたって――
ヴィン ルノウのおかみさん所にまた君が行って、変な男なぞとナニしたら、僕あ、殺しちまう。
シィヌ そりゃ、あんた……(ヴィンセントからゆすぶられて、されるままに頭や髪をグラグラさせながら、不思議なものを見るように相手を見ている。……互いに全く理解し合えない男と女の抱擁)……痛い。
ヴィン ……うむ?

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その時、ドアが開いて、画家ワイセンブルーフ(五十歳前後)と、ヴィンセントの義理の従兄で同時に絵の師である画家モーヴ(四十二、三歳)が入って来る。ワイセンブルーフは零落した天才画家と言ったふうの、極端に投げやりな身なりの、顔つきも言葉つきもソフィスト流に皮肉で活気がある。モーヴは堂々たる身なりの、落ちついた人柄。――入って来るや、いきなり鼻の先におかしな形の抱擁を見せられて、二人ともあきれて、言葉も出ないで、突っ立って見る。やがてワイセンブルーフは、ニタニタと笑い出す。モーヴが左手のステッキで、戸口の板をコンコンと叩く。音に気がついてヴィンセントとシィヌが振り返る。
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シィヌ あら!
ワイセ (朗唱の調子で)昼は日ねもす、夜は夜もすがらくちづけの、か――さはさりながら、もうそこらでやめんかねえ。
ヴィン モーヴさんもワイセンブルーフさんも、いつ来たんです? ちっとも知らなかった。
ワイセ ちっとも知らないは、ひどかろう。いくらノックしても開けてくれないじゃないか
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