それがあると思う。そしてその点が彼をして他の後期印象派の画家たち、またはその後の近代画家たちから区別している最も大きな要素のような気がする。
 以上三つのことが、私がゴッホを掴まえようとした追求の結果であるのと同時に、ゴッホを掴まえるための重要な拠り所でもあった。
 私の戯曲にそれらがどの程度にまで生きたものとして実現されているか、今のところ私自身にはハッキリわからない。ただそのために出来るだけの努力はした。後はさしあたり、戯曲をよんでくれ、劇を見てくれる人々の批判に、素直に耳を傾けたいと思う。
[#地付き](一九五一年八月末)

 人生画家ゴッホ

 画家は即ち画家とだけでたくさんで、それ以外の形容詞は要らないのだが、仮りに人生の画家という言葉が在るとするなら、ゴッホほどこれにふさわしい画家はいないであろう。
 理屈ではない。また彼の生きがいの歴史を調べたうえでの結語のようなものでもない。ゴッホの絵を見て、ジカにわれわれの感ずるものとしてである。作品が彼の人生そのものとピッタリと一本になっている実感を持っていること。つまり「絵を生きている」こと彼のごとく素朴にして強烈な画家は他にあま
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