じめて私はゴッホを私なりに真に理解し得たといえる。
この作品で、かつてオランダに生きていたゴッホという画家がチャンと書けているとは私は思っていない。それはとても書けるものではない。まず西洋人である。西洋人には東洋人にはどうしてもよくわからない何かがある。次にゴッホの人間を深いところで決定づけていたキリスト教の実体がわれわれにはなかなか掴めない。この二つを掴むために私は私に出来る限りの努力はした。しかしこれでよいという気にはどうしてもなれなかった。
せいぜい「私がこんな人ではなかったろうかと思っているゴッホという人間」の姿の一部というところだろう。芝居としても上手に書けたという気にはどうもなれない。しかしゴッホという人間画家の一角に僅かながら爪を立てることだけは出来たと思う。
[#地付き](『三好十郎作品集』より)
ゴッホとのめぐりあい
言うまでもなくこの人は私にとって見も知らぬ外国人なのに、それに対して実に強い親近感を懐いている。それは非常に近しいイトコのことでも考えるように強いもので、しかもそれがごく自然だ。この感じは「炎の人」を書くためにゴッホのことを調べたりしたために
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