ゴッホについて
三好十郎

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(例)[#地付き](一九五一年八月末)
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 ゴッホの三本の柱

 ゴッホの人間及び仕事を支えていた三本の大きな柱として、私は次の三つのものを考えた。これは私がゴッホを好きで彼からの強い影響を受けて来た十代の頃から半ば無意識のうちに掴んで来たものであるが、この春ごろから、いよいよ戯曲に書くために改めて彼のことを考えたり、式場さんその他の研究書を調べたりした結果、さらにハッキリと確認したものである。劇を見てくれる人たちの参考になるかも知れないので、それを簡単に書く。
 第一に、言うまでもなく、彼の持っていた高度に純粋な創造的な性格である。「あまりに純粋な」と言うべきかもしれない。生涯が、ほとんど燃えた生涯であった。生んで生んでさらに生んで生んで「燃焼」は常に白熱を帯びる。多分、彼の生活には、強度の芸術的昂奮と深い疲労しかなかった。ゆるやかな、中等度の気分や生活――普通の人々の「幸福」を作り上げるために必要なアヴェレッジな要素は、極度に少なかった。彼においては走っているか倒れているかの二つの姿しかなかったとも言えよう。創造的性格というものは、いつでも多かれ少なかれそのようなものらしいが、ゴッホにおけるほど極端に純粋な例は、他に多く見られない。それは刻々に火が燃えているのと同じだ。美しいのと同時に、あぶないような、怖ろしいような、感じでつきまとう。
 ゴッホの生涯を見ていると、セツなくなり、少し息苦しくなって来るのは、たしかにそのセイである。私は彼を、普通言うところの精神病者としては見ないのだが、右に述べたような意味でならば、彼の性格全体の中には「狂」に近いものがあった。そして、それが、非常に強い美と真実の感じで、われわれを打つ。
 第二のことは、ゴッホが徹頭徹尾「貧乏人の画家」であったこと、言うところのプロレタリヤ画家の意では必ずしもない。貧乏に生れ、貧乏人の中に在り、貧乏人の気持で絵を描いたと言うことだ。サロンのためや、特権者たちのためには一枚も描いていない。しかもそれが、特に意気張った態度や、特定の思想体系から来たものでなく、きわめて自然なナイーヴなものとして出て来ている。それだけにまた、どんな場合にどんな目に逢っても取替えようのない根深い態度になっている。これがまた、私には、しんから美しく貴い姿に見える。
 第三に、彼の中に生きていたキリスト教だ。ゴッホを、正当な意味でキリスト者と呼び得るかどうかに就ては議論があろう。また、現に、キリスト教の教師の家に生れ育って青年時代に宣教師になって後しばらくしてキリスト教を捨てているのだから、「ゴッホの持っていたキリスト教」と言うのは、当らぬとも言える。私の言うのは、キリスト教を彼が捨ててからさえも、彼の血肉の中に生き残りつづけた宗教性のことである。一般にキリスト教的伝統を持たない日本人がヨーロッパ人を理解しようとする時に最も大きな障害になるのは、この点である。それも、一つの理論ないしは観念としてならばある程度まで理解出来ないことはないが、理論や観念の域を脱した深奥の血肉の世界や日常の空気の中にまでにじみこんでいるキリスト教的実体となると、掴まえることがほとんど不可能なくらいに困難である。私がゴッホをとらえるのに一番困難を感じたのもこの点であった。しかも、たしかにゴッホの人間には終生を通じてキリスト教的血肉を除外しては理解出来ないものの在るのを私は感じる。実は彼の絵にも根幹の所にそれがあると思う。そしてその点が彼をして他の後期印象派の画家たち、またはその後の近代画家たちから区別している最も大きな要素のような気がする。
 以上三つのことが、私がゴッホを掴まえようとした追求の結果であるのと同時に、ゴッホを掴まえるための重要な拠り所でもあった。
 私の戯曲にそれらがどの程度にまで生きたものとして実現されているか、今のところ私自身にはハッキリわからない。ただそのために出来るだけの努力はした。後はさしあたり、戯曲をよんでくれ、劇を見てくれる人々の批判に、素直に耳を傾けたいと思う。
[#地付き](一九五一年八月末)

 人生画家ゴッホ

 画家は即ち画家とだけでたくさんで、それ以外の形容詞は要らないのだが、仮りに人生の画家という言葉が在るとするなら、ゴッホほどこれにふさわしい画家はいないであろう。
 理屈ではない。また彼の生きがいの歴史を調べたうえでの結語のようなものでもない。ゴッホの絵を見て、ジカにわれわれの感ずるものとしてである。作品が彼の人生そのものとピッタリと一本になっている実感を持っていること。つまり「絵を生きている」こと彼のごとく素朴にして強烈な画家は他にあま
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