りない。一枚のタブロウ全体でも、ひとタッチずつの中でも彼は生きている。
 生きるということは、意識と無意識とを一度に働かして物にぶちあたることだ。行動の直中にキチガイになるということだ。そのことの直中に燃え、燃えつきるということだ。
 画作十年の全作品を通じてそうであるが、特に完全に自己の独創に立って矢つぎ早に傑作を描いた晩年三、四年間の作品には、近代画家の大概にあるところの、自然を三段論法風に「解釈」した跡が、ほとんどない。無邪気に、無雑にただセッセと描いているだけ。自然や人間をながめたものを「それ自体」と信じ切って、それに筆を従わせているだけのようだ。絵を見る人の受け取り方まで計算に入れて、それに対応する「手」としての理論や構築や作為はないように見える。
「解釈」から絵を描けば、一方において唯美主義やデカダンスが生れ、一方においてキュービズム、アブストラクト、シュールその他が生れる。そのような絵になれた人たちが、ゴッホの絵に物たりなさを感ずるのも、いくらか当然ともいえよう。しかし、ゴッホの良さと強固さも実はその点に在る。
 他の文化文物におけると同様に、絵も絵だけとして発達し爛熟すると、ライフから浮き上り、離れてしまい、そして衰弱する。それを時々、人生画家が出て来て救い、本道に立ちもどらせる。現在、パリその他に、アブストラクトやシュールを批判して否定して、もう一度強固な人生と実在を踏んまえて立とうとしつつ素朴なリアリストたちの動きが現われて来つつあるのはそれだろう。そして、それらがいろいろの意味でゴッホに血脈を引いていることは疑いのない所だろう。
 美が美だけとしてライフから切り離されて追求された所で絵が描かれれば「手品」になる。西洋にも日本にも現在手品じみた絵が多過ぎる。そのことを反省する意味でもゴッホの絵は、今、丹念に振返って見られる必要があると思う。
[#地付き](「毎日新聞」一九五一年九月五日付)

 炎の人

 私がゴッホの絵に引きつけられ、彼の一生の足跡から強く動かされたのは、早く十代の中学一二年からのことである。
 もともと絵がひどく好きで、青年時代まで画家になるつもりでいた。青年時代に、絵を描くだけではどうしても満たされない飢えのようなものから促されて詩を書き出し、それが発展してやがて劇作に移って行き今日に至っているが、その間も絵を描くことはやめない。時間が充分でないのと持続的に描かないため上達はしない。それに一枚の絵を永くつつくタチなので完成した絵は極く僅かしかない。現在も描いている。原稿を書くために二時間も机に坐っていると頭が痛くなってくるが、頭の痛い時でさえイーゼルに向って絵具をいじっていると三時間ぐらいは夢中に過ぎてしまう。絵画は主として感覚中心の仕事ゆえ、人を酔わせる作用があるからとも思うが、それよりも私という人間が本来ひどく感覚的な人間のためではないかという気がする。五官が過敏すぎるのである。とくに嗅覚と視覚がそうだ。物の匂いがあまり鼻に来るので、まるで犬のようだと人からいわれたことがなんどもある。また初夏の林の道などを歩いていると、あまりに多種多様の緑色が見えすぎて、その刺戟のために目まいを起して倒れることがある。私が神経衰弱になりやすいのは、これらの感覚過敏のためらしい。時にそれが呪わしいような気がすることがある。しかし、次第に、それも自分に生れついたものだとあきらめるようになって来た。あきらめるというよりも、これが自分というものだ。これらの過敏さを抜きにしては自分というものは存在し得なかったのだ、これは自分に与えられたものだ、してみれば自分にとってかけがえのないという意味で貴重なものであると考えるようになった。
 私がゴッホに本能的に引きつけられることの理由に右のようなこともあるかも知れない。ゴッホの絵が唯単に良い絵として私に受け取られたのではない。実はゴッホの絵を「うまい」と思ったり、「美しい」と思ったりしたことは、ほとんどないのである。ただドキンとするような感じがこちらに来るだけなのだ。彼の絵を貫いている根源的なイノチのようなものが、他人のもののようでないジカな感じでこちらの内部に入りこんでしまった。だから私がゴッホから受けたものは影響とはいいにくいかもしれない。もっと中心的なところを動かされてしまったらしい。いわば私はゴッホを「食った」らしいのである。それが私の薬になったか毒になったか私は知らない。しかし、どうも食ったらしい。良かれ悪かれ食ったものは自分の血肉の一部になってしまっているのだろう。
 私が時々ゴッホの絵の「ヘタさ」かげんが鼻について「なんとまあ小学生のようなヘタさだ」と、まるで自分の作品のアラを見つけて嫌になった時と同じ気持に襲われたりするのも、そのためかもしれない。ま
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