た、ゴッホと同じ血液を持ちながらゴッホの持たなかった静謐を持っていたジオットや、近代ではゴッホから出発してクラシックな安定の中に腰をすえたドランなどに強く引かれるのもそのためらしいし、また、ルオウに敬礼しながらも彼の絵を永く見ていることに飽きてしまって「わかった、わかった。もうたくさんだ」といいたくなるのもそのためらしい。それからまた、小林秀雄などが「麦畑の上を飛ぶ烏」などを褒めちぎったりすると「じょうだんいってもらっては困る。あれは私の頭の調子が変になりきった時の、落ちついて絵具をしっかりカンバスに塗っていられなかった時の絵で、絵そのものが少し狂っている。異様なのは当然だろう。第一、あんたが打たれたという空のコバルトは、私の塗った時とは恐ろしく黒っぽく変色しているんだ。褒めるなら、せめてそれくらいのことはわかった上で、もっとマシな絵を褒めなさい」とつぶやいて見たくなるのも、そのためかもわからないのである。
 ――それほど私にとって親しいものになってしまっていたゴッホではあるが、そのゴッホのことを自分が戯曲に書くことがあろうなどとは想ってみたこともなかった。だから去年のはじめ劇団民芸の諸君からそれをすすめられた時には二重にギクリとした。一つはとんでもないことをいわれた気持と、一つは何か道具はずれを鋭く刺されたような気持だった。いずれにしろ自分の力に及びそうには思われないので再三辞退したが、どうしても書けという。特に滝沢修君の熱意は烈しかった。それで、いろいろ考えたり調べたりしているうちに、自分に書けるだろうとは思えなかったが、これほど少年時代からゴッホに動かされて来ている人間だからゴッホのことを書く資格だけは有るのではないかと思った。するとパッと視界開けて書く気になった。
 書くのはかなり苦しかった。画家の肉感を自分のうちにとらまえて離さないようにするため、原稿紙ののっている机のわきに常にイーゼルを立てて置き、時々カンバスに油絵具をつけては、指の先で伸ばしてみたりしながら書き進んだ。ゴッホが狂乱状態になって行く所を書いている時など、私の眼までチラチラと白い火花を見たりした。書きながら、だから、ゴッホが錯乱して行く、行かざるを得ない必然性が、はじめてマザマザと私にわかった。そして今さらながら戯曲を書く仕事の良さと、それから怖ろしさが身にしみた。だからこの作品を書いてはじめて私はゴッホを私なりに真に理解し得たといえる。
 この作品で、かつてオランダに生きていたゴッホという画家がチャンと書けているとは私は思っていない。それはとても書けるものではない。まず西洋人である。西洋人には東洋人にはどうしてもよくわからない何かがある。次にゴッホの人間を深いところで決定づけていたキリスト教の実体がわれわれにはなかなか掴めない。この二つを掴むために私は私に出来る限りの努力はした。しかしこれでよいという気にはどうしてもなれなかった。
 せいぜい「私がこんな人ではなかったろうかと思っているゴッホという人間」の姿の一部というところだろう。芝居としても上手に書けたという気にはどうもなれない。しかしゴッホという人間画家の一角に僅かながら爪を立てることだけは出来たと思う。
[#地付き](『三好十郎作品集』より)

 ゴッホとのめぐりあい

 言うまでもなくこの人は私にとって見も知らぬ外国人なのに、それに対して実に強い親近感を懐いている。それは非常に近しいイトコのことでも考えるように強いもので、しかもそれがごく自然だ。この感じは「炎の人」を書くためにゴッホのことを調べたりしたために生れたものではなくて、ずっと以前からだ。
 なぜだろうと考えても理由はよくわからない。第一ゴッホの絵を複製で見たり生涯のことを知ったのがいつだったか覚えていない。もともとすべてのことについての年月日についての記憶力が薄弱な人間だが、それにしてもこれほど強い影響を自分に及ぼしたゴッホとの最初のめぐりあいのことをこれほど忘れてしまっているのはチョット不思議だ。そうしてそのことがまた、ヒョイと気がついてみたら自分のイトコがすぐにそこに立っていたのに気がつきでもしたように、ゴッホへの親近感の深さや自然さの証拠になるかもしれない。
 私は少年時代から青年時代へかけて非常に絵が好きで、人のかいた絵をみるのを好み自分でも水彩画を描いた。ことに中学の一年二年三年あたりの時代では夢中になって絵をかいた。主として自分の身辺の自然を写生した。今思い出してみると面白いことに私が生れて初めてまとまった金をかせいだのはその当時で、自分のかいた絵によってである。私はひどく貧乏で中学の学費だけは親戚の者たちからわずかづつ支給してもらっていたが、いつもほとんど金は持っていない。それが書店の店頭で雑誌を見ている間に、その
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