アメリカ人に問う
三好十郎

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)あなたが[#「あなたが」はママ]
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 すべてのアメリカ人諸君。
 誤解が起きるのを避けるために最初にことわっておきますが、私はアメリカを良い国だと思い、アメリカ人をよい人たちだと思っている者です。あなたがたは若くエネルギッシュで率直で、正義と自由に立とうとしており、他国にたいして寛大で親切です。
 私および私どもは戦争が終ってから八年のあいだあなたがたの姿とあなたがたが私たちにむかってなさったことを注意ぶかく見てきました。その八年めの結論としてこのことを言っているのです。
 私および私に似たような日本人の多数が、あなたがたを良い人たちだと思っているという事実を、あなたは信じてくださってよろしい。
 なぜこのようなことを最初に言うかといいますと、私はこれから、もしかするとあなたの気にさわるかもしれないある質問をあなた宛てにしようとしているからです。
 たぶん、たしかにそれはあなたにとって愉快な質問ではない。もともと私はどんな意味ででも、あなたに不快をあたえたくない。だのにこんな質問をあえてするわけは、それはどうしてもしなければならぬ質問だからです。私は八年間、言いだすのを控えていましたが、しかし結局はどうしても言いださないではいられない。そういう欲望と同時に必要があるのです。私だけにとって必要であるばかりでなく、私とあなたとの今後の関係にとっても絶対に必要な質問であると思います。だから質問の結果、一時的に多少あなたを不快にさせたりするかもしれないと心配しながらも、言いださないわけにはいきません。そしてたぶん最後まで読んでくださればわかってもらえるであろう――そういうつもりで、言いだしてみるのがよいと私は考えます。
 それに、これを言いだしてみるということそれ自体が、私があなたがたを人間として信頼している――すくなくともある程度までは――ということは、私の質問の表面的な不愉快さにたいする反感のために、この質問を持ちだそうと思った私の真意までを曲解なさるほど不公正な人間であなたがないと、私が思っているということです。
 そこで、私の質問はどんな質問かといいますと、原子爆弾についてであります。もっとくわしく言うと、原子爆弾とあなたがたが拠ってもって立っている民主主義との関係についてであります。
 私は昨年(一九五二年)すえのある新聞につぎのような文章を寄稿しました。

「友人と私は喧嘩をした。しかけたのは私で、その動機はまちがっていた。喧嘩中に友人はひどい兇器を使った。
 喧嘩は私が負けて、私はあやまって、今後ながくこの友人と仲よくしていきたいと思っている。
 ところが友人はその兇器をまだふところに持っている。軽率に出して使いはすまいが、でも、彼がどういう理由でどんな気持になったときに使うかがハッキリわからないので、こちらは不安で、気を許してほんとに仲よくしてもらうわけにはいかない――。
 アメリカが日本と仲よくしてやっていってほしいとわれわれは望む。しかし望めば望むほどアメリカの持っている原子兵器が気になる。どんなときに、だれが、どんな機関が、それの使用を決定するのか? それらを秘密またはアイマイにしておくことによって、他国の戦意を威圧していこうというのかもしれないが、それで今後ぜったいに戦争が起らぬことになればありがたいが、それにしても不安は消えず、そして不安はさらに大きな戦争の原因にもなりうるのだ。
 戦争中、広島と長崎に原爆を落すことを、アメリカの全国民が賛成したとは思われない。たぶんアメリカ軍の統合参謀本部といったようなところで決定され、トルーマン大統領がサインをして、軍の専門部に命令がくだされたのだろうと察しられる。
 今後も同様の手つづきがとられるのだろうか? そのばあい、アメリカ全国民の賛否はどうなるのだろうか?
 原爆の数千倍の威力を持つという水爆の実験が成功したという。そして来年一月からはトルーマン氏にかわって、大戦中アメリカ軍の首脳者の一人であったアイゼンハワア氏が大統領になる。この機会に今後どのようなばあいに、だれがどんな手つづきで、原爆や水爆の使用を決定するかを私どもは知っておきたい。これは、皮肉や悪意による質問ではなくて、アメリカと仲よくしていきたいための善意から出た質問である。
 アメリカ人のなかで、どなたでもよいから答えてくださる人はないだろうか。」
 この文章は、かなり多数のアメリカ人に読まれたと思ってよい理由があります。しかし現在までのところ、答えてくれた人はありません。私はしかし、どうしても答えをえたいと思います。私はしんぼうづよく待ちます。しかし待つあいだに、私の質問をもうすこしくわしく語りひろげてみたい、そしてそのことによって、あなたの答えをさらに催促したい、それがこの文章であるわけです。
 私の質問に答えることが、それほどたやすいことではないことは、わかります。ことがらはひじょうにデリケイトです。
 あなたは、もしかすると、原爆のようなあまりに大きい破壊力を持った兵器を使用したことを後悔なさっているかもしれないし、またもしかすると、良心にとがめていられるかもしれない。またあなたはもしかすると、戦争は戦争なのだから相手を早急に打ち負かし、そのことによって戦争がそれ以上ながびいたばあいに起きるであろうさらに大きい彼我の災害をくいとめるためには、原爆の使用はやむをえなかった、ばあいによって使用した方がよかったと思っていられるかもしれない。またもしかすると、すでに戦争は終って、アメリカと日本とのあいだには講和がむすばれ、安保条約ができて、日米間の協力と親善関係が緊密なものになる必要と希望が感じられている現在では、戦争中の記憶はなるべく早く消えていった方がよい、それにはその中でもっともいちじるしかった原爆について、いまさら語らない方がよいと思っていられるかもわかりません。そういった考えかたは、私に理解できなくはありません。しかし、じつは、そういう理由そのものが、私があえて質問をする理由でもあるのです。すなわち、現在から将来にわたって、日米間の協力と親善の関係が緊密なものになる必要と希望を、私およびもしかするとあなたも感じているために、私は質問を出しているのだから、あなたは答えてくださらなくてはならない。
 終戦後、ごく少数のアメリカ文化人が、原爆のことを語った言葉の二三を私も新聞紙上で読んだことがあります。しかしそれらはすべて、ひじょうに持ってまわった、しかも抽象的な、またはボンヤリした意見であったし、それにまた、それにつけくわえられていた日本人にたいする言葉も、ただ「お気のどくでした」程度の挨拶にすぎませんでした。
 私はふしぎでなりませんでした。なるほど政治家達は、政治の必要から往々にして率直にものを言いません。それはどこの政治家もそうだから仕方がありません。しかしアメリカにも学者や評論家や文化人たちはいます。一言にいって、アメリカの良心といえる人たちは多い。そんな人たちが、このことについてこんなにまで発言しないのは、なぜでしょうか? 現在のアメリカに原爆使用について論議することを禁ずる法律はなかったと思います。それとも、アメリカ文化人のあいだには、原爆使用の問題については語らないという、暗然のタブウのようなものがあるのでしょうか?
 かりにそんなものがあったとしても、私は質問をひかえるわけにいきません。それは、われわれ日本人が原爆の最初の被爆者であるゆえです。
 あなたがたは、広島と長崎という、ほとんど無防備にちかい都市の非戦闘員にむかって、まえもっての警告なしに原爆を落した。一挙に数十万の市民が殺傷されました。それからの被害のあるものは、いまだに残りつづいています。全日本人の大半が、広島、長崎の被爆者と縁故のないものはないと言えます。私自身も、私にとってかけがえのない数人の親友を広島で失っています。
 彼らの全部が一気に死んだのではありません。のたうちまわって苦しみ、しかもそのすえにかならず死ぬことを知らされつつ死んでいった人も多いのです。そういう人たちの苦しみと、それを見まもっていなければならなかった私たちの苦しみを、想像していただきたいと思います。
 誤解しないでください、私はこのことについてあなたがたをここでとがめようとしているのではありません。たぶんそれは、とがめることのできることがらだと思いますが、私にはその力も資格もないし、またここはそういう場所でもない。それに、戦争をはじめてしまった以上、その戦争のなかで相手を倒すためには、ばあいによって、どのような種類の破壊力でも使用するのは当然または、やむをえぬことだとする考えかたもあるわけですし、またあなたがたは「それでは真珠湾の無警告攻撃はどうだ?」と言うかもしれない。たしかに、それももっともなことです。そのようなことのいちいちを比較計量して断罪しようとしても、いまとなっては意味をなさぬと思います。ただわれわれは、広島と長崎の原爆のことを忘れることができないのです。
 いうまでもなく、私どもはこの記憶を、憎悪や怨恨のために使いたくはない。できるならば、今後の世界と平和と人類の幸福に役だつように使いたい。それがまた原爆被害者達の死や苦しみを無駄にしないためのいちばんの道でしょう。この点ではたぶんあなたも賛成してくださると思います。そのためには、私どもは今後戦争をひきおこす原因になりそうなことを、できるかぎり取りのぞいていくつもりです。あなたがたもたぶんそうしてくださることと思います。あなたがたと私どもがその点で心と力をあわせて努力すれば、それはかなり効果があるはずです。
 しかしそのこととは別に、現在の世界の諸国家間の緊張した関係は、私どもをして理想主義的な平和運動の境にとどまらせておいてくれない。われわれは現実を見ざるをえないし、必要とあらば現実にふみこんでいかざるをえない。諸国家の国民のだれもが戦争を望んでいないばかりでなく、その大多数が戦争を心から嫌悪しているにもかかわらず、現在の現実では、戦争は起きてしまうかもしれないのです。
 この矛盾のこっけいさは、今となってはグロテスクになってしまった。しかしどんなにグロテスクであっても、われわれはこれを認めないわけにはいかぬし、それに対処しなければならないのです。
 あなたが[#「あなたが」はママ]アメリカ人が好戦的な人たちだとは私は思わない。ソビエットの人びとが好戦的であるとは思わないのと同様に。にもかかわらず、あなたがたは今後戦争をするかもしれない。このようなことを言ってみるだけのことさえも恐ろしく悲しいことだが、言わないでは話がハッキリしない。そして、もしそんなことになれば、あなたがたは原爆、水爆およびその他の猛烈な威力をもった兵器を使用する可能性がある。
 そのときに、あなたがたは、どのような手つづきでその使用を決定するのだろう? それを私どもは知っておきたいし、知っておく権利があるように思うのです。そしてじつは、あなたがた自身もそれをハッキリ知っておく必要があると私は思います。そして、その参考として、まえに引用した新聞の文章で、私は広島と長崎の原爆が使用されることに決定した手つづきと使用の手順がいかなるものであったかを質問したのです。
 それはたぶん私が右の文に書いたようなてつづきによったものと思います。しかし、もう少し具体的に正確に私たちは知りたい、あなたがたアメリカ人は知っていられると思う。それを知らせてほしいのです。
 たとえば、それを決定したときの統合参謀本部なり、そういった組織の構成員の職制や人名や責任の分担など、それからそこでの決定とトルーマン大統領のサインのあいだにどのような規則や慣例があるかについて、またそれが軍の専門部に発令し執行されるにいたる全段階にわたってのできるかぎりのくわしい具体的な知識を私はえたい。
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