では「フアシズム的」]なのである。われわれが民主主義を大切なものとして育てるつもりならば、われわれは極力戦争手段を避けなければならない。もしまた、どうしても戦争手段が避けられないのが現実ならば民主主義の実施方式を修正しなければなるまい。その意味で、これまでの民主主義の弱さや甘さが批判されなければならぬ段階がすでに来ているのではないのか。
 私はこう考えます。それについてのあなたのご意見を聞かせてください。
 つぎにおたずねしたいことは、右と関係のあることです。
 たしかに近代の戦争はそのようなものであり、軍および軍人はそのようなものであります。それは、やむをえないことです。しかし、その軍や軍人が戦時に使用する武器が、一瞬のうちに何十万という敵国人を殺傷する力をもった原子兵器その他でもあるばあいにも、軍および軍人または直接軍の統率者たちだけの決定にまかされていてよいでしょうか[#「しょうか」は底本では「しようか」]?
 そんなに強力な兵器の使用決定の権限をも、国民全部から無制限に一任されると思うのは、軍および軍人または直接軍の統率者の思い違いではないでしょうか? すくなくとも、それほど重
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