がヨーロッパ全体の指導権をしっついした時に、すでにヨーロッパ的理念の実質は没落したのでして、以来、ただ一つ、ソヴイエット・システムだけが、ヨーロッパ的理念の最後のひとつかみのよりどころ、ないしは修正物として、かろうじて存在しておりますが、しかし、それも、特殊な地方的条件としてのツァーリズムというものが、打ちたおされるべき反対物として存在していたればこそ、可能であったのであって、そういう意味では、すでに現段階のものではなく、世界的チツジョ樹立のための現実的な原理としては、もはや無力であることは、立証されているんです。いえ、私は、或る意味でマルキストであるかもしれません。いえ、マルキストと言われてもすこしも恥じません。もちろん、そのために処罪されても、いいんです。しかし、われわれのマルキシズムは、公式主義的適用から、はるかに生成発展したものでありまして、つまり、東洋的現実日本的地方的条件――すなわち、民族の族長としての天皇へいかを中心として、つまり一君万民ですね、せまくは日本、広くは大東亜圏諸国を、天皇中心の社会主義体系にまとめるという理念であります。この事は、私がこれまで書きもし、また各地で講演もして来た考えでありまして、冷静な科学的検討をへて来た思想であると同時に、今日となりましてはわれわれの信念となっているところのものであります。もしマルキストとしてわれわれを処分されるのでありましたら、われわれは、あえて辞するものではありませんが、しかし、この、現にわれわれが到達している理念の体系をよく理解された上で、いずれとも処断していただきたいのです。われわれは、これを、神の前で誓って断言すると共に、この聖戦はじまって以来、各方面の戦場で陣歿された将兵のミタマの前で明言します。実は、私の弟も昨年、上海附近で戦死しておりまして、それを思うと私、なんであります、まだ、この、女の味も知らない二十四になる賢介がです、この、童貞のままで――クリークの泥の中に頭を突込んで死んでいたそうですが――まったく、シッチャイネーヨと――(直立不動のまま、まくし立てる)
伴 ……(冷然として聞いていたが)もういい。おい。(下士に、浮田を別室へつれて行けとアゴをしゃくる[#「しゃくる」は底本では「しやくる」])
下士 は。……(浮田に)お前は、あっちだ。
浮田 戦陣訓、戦陣訓と、そりゃ、ウヌは殺される心配がないから、なんとでもいえるだろうさ。ぜんたい、この聖戦をだなあ、こんなふうに――グウ!(と言ったのは、下士がツと寄って、背広のえりに両手をかけて、十文字にグイとノドをしめあげたのである。下士はそのまま浮田をボロのように引きずって、廊下に消える)
伴 ……(しばらくだまっていてから、なんにもなかったような調子で)そこで、クリスト教信者として、守らなければならぬ事になっとる、この、掟だねえ?
人見 は?……はい。(ガタガタふるえ出している)
伴 山上の垂訓とか、いうやつさ。さがしたが、見つからん。(テーブルの上の小形の本をいじくる)いって見たまえ。
人見 それは、あの、なんです……なんじ、カンインするなかれとか、なんじ、いつわりのアカシをするなかれとか――つまり、キリストが示した一種の道徳上のです、標準といいますか――
伴 だが、信者なら、それを守らなければならんのだろう?
人見 はあ、それは、なんですが……この宗教上の信条と申しますのは、実際上にこれを、なんです、実行するという点になりますと、いろいろの解釈がありまして、必ずしも、この――
伴 必ずしも実行することを命じていない? そうだね? ……しかしだね、実行できれば実行した方が、いいのだろ?
人見 はあ、それはなんですけど、でも、実行しようにもできない場合もありますし……また、そのような事の前に実行しなければならぬ、もっと大事なことが有るとか……つまり人間としてです――
伴 よしよし。正直にいってくれて、いいよ。よそ行きの、おもてむきの、キマリもんくを聞くために君を呼んだのじゃない。ホントの事をいいたまい。……どうだね、君は、この戦争をどんなふうに思っているかね?
人見 は? ……はあ、それは、とにかく日本が生きるか死ぬかの、聖戦でございますから、わたくしども、力の限り、なんです……それでまあ、私も、チョウヨウを受けまして、飛行機の増産にたずさわらしていただいて……もっとも、私は眼がすこしいけないものですから、事務関係とそれから青年学校の講師にまわされておりますが……とにかく、いっしょうけんめいに――
伴 よろしい。それで、その山上の垂訓というやつを、やって見る。なんじ、殺すなかれというのが有るかね?
人見 はあ、それは――
伴 なんじの敵を愛せよ。
人見 あ、ありますです。
伴 人もしなんじの右の頬を打っ
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