たもんだから……どうぞ、ごめんなせ」キクンと腰を折つて最敬礼であやまる。

 しかし今度スミが頭を上げた時には、既に少女の姿は見えなくなつてゐる。(建物の角を後退りに折れたのだらう)スミ、ばかされた様な顔付きで少しキヨトキヨト見廻すが大した事でもないので、まだ父は来ないかと町通りを眺める。――
 駅前のガランとした広場。それに続いて、田舎町の通りの風景のパースペクテイヴ。人通りも少く、勿論、父親の姿は無い。
 広場へ出て、もつとよく通りを見透さうとスミは広場の手前を横切つて、駅の柵の方へ近づく。
 柵の内側は、荷役をする場所になつてゐて、既に大半の積込みを済ませた小さな軽便鉄道の荷物車が二つ見える。
 スミが柵に近づくと、急にギーギーブウブウといふ鳴声がするのでヒヨイと見ると、二つの荷物車にはギツシリ豚が積込まれてゐるのが横板の間からのぞける。
 スミはびつくりしてそれに気を取られ、柵につかまつて、延び上つてそれを見る。
 荷物車の向う側でウロウロしてゐる人の姿が、車と線路の間からチラチラ見える。それが人夫でもなければ駅員でもなく、薄色のストツキングに踵の低い靴を穿いた細い足である。スミ不思議に思ひ、それを凝視する。足はスツと何処かへ消える。
 何だらうと思つて考へてゐるスミ。

 やがて再び町通りの方を眺めるスミ。

○通りを此方へ向つて、ひどくのけぞる様な格好でユツクリ歩いて来る人の姿。見るとそれは区長である。竹の皮包みを下げてゐる。待合室の前に置いてある乗合馬車の方へ。
 何かを非常に食ひ過ぎてゐるらしい。
 どうしたのかと、それに近附いて行くスミ。
 キクツキクツと区長はシヤツクリをしてゐる。

 馭者(既に馬車の上にゐる)「おそいなあ区長さん! もう出るぜえ!」
 区長「やあ、済まんのう。あんしろ――ゲツ」
 区長は馬車に乗る。
 スミ「小父さん! お父うがまだだから、もう少し待つてくだせえよう!」
 馭者「仕様無えなあ。彦さは又どつかでドブロク引つかけてんだ。早くしねえと困るがの? 暗くなつてしまふと、方々に崖があるで危ねえからな! チヨツ、仕様の無え飲んだくれだぞ!」――鞭を鳴らす。

 スミはヤキモキして通りを見たりする。

 四辺にポカリと電燈がつく。
 そのついたばかりの広場の街燈の下から、よろめき出るようにして、フラフラする足を踏みしめ踏みしめ走つて来る彦之丞。

 馭者「さあ、彦さ、乗つた乗つた! 出るぞ」

 彦之丞、スミに豚代金廿円余を渡す。豚の値が下つたのを悲しみ憤慨しながら。且、仲買人には前に借金が有つたのを差し引かれたために金が少くなつてしまつたことを嘆きながら。――「あんにしても、貧乏百姓が一番つまらねえて! カスを掴むはいつでも百姓だ。孫子の代迄百姓なんぞさせるもんで無えつ!」

 馭者が怒つて怒鳴る。それでも彦之丞がスミに向つて道中の注意や一六によろしくだの何のとグズついてゐるので、馭者、彦之丞の襟がみを掴んで馬車の上に引つぱりあげてしまふ。
 窓から乗り出した酔つた父と、スミの別れ。

 馬車、動き出す。
 窓から区長の手がヌツと出て、竹の皮包みをスミに握らせる。「さあ、これやるだから、汽車ん中で食べな、御馳走だ」ゲー、ゲー、と言ふ声。

 彦之丞「身体を大事にするだぞーつ! しよつちゆう便りを呉れるだぞーつ! 途中気を附けなよつ!」云々と窓から突出した腕を振つて酔つた声で呼ぶ父を乗せて、馬車は町通りを元来た方へ。
 それを見送つてスミの打振る手には竹の皮包みがブラブラしてゐる。馬車が町の彼方に消える。スミの眼に涙。
 (伴奏音楽)
 ヒヨイと気が附くと、あたりは少し薄暗くなつてゐる。
 スミびつくりして待合室に入つて行く。

 待合室は既に電燈で明るい。
 既に改札口は開いてゐて、お若と土方を残して他の旅客は全部、軽便に乗り込んでしまつた後である。

 土方が腕を組んで立つたまま、お若の顔をヂツと見てゐる。
 お若も土方を見てゐる。
 土方「……そいで、あんた、ついて行くのかね?」
 お若「へえ、信太郎さには、別について行つてやる人居ねえので、私、どこまででも、ついて行つて――」
 土方「どうするんだ?」
 お若「どうするつて……とんかく見とゞけてあげるです」
 土方「……さうかい、ふん」

 スミの入つて来たのを二人見る。
 お若「あゝ、あんた、早くしねえと、もう出るが」
 スミ「へい、どうも、ありがたう」荷物を取る。

 土方はノツソリ歩き出して切符を買ひ、改札口を出て行く。スミとお若、出札口へ。
「あんた、銭無えのではねえの?」
「いえ、有る。軽便だけは乗つて行く積りで来ただから」
「おら買つてあげる」
「いえ、そいじやお気の毒だ、そんな――」
「すれば、汽車にも乗つて行けら」
 スミ切符を二枚買つて、お若にやる。
 お若「……すみません。ありがたう」
 スミとお若、改札を出て客車へ。

○軽便鉄道の列車。
 列車と言つても、箱は小さい上に、人間の乗る箱は一番前の一つきりで、後の二つは豚を載せる箱である。だから此の各種の旅客達は、待合室よりも更に狭い旧式な箱の中に全部収容されたわけである。

 スミとお若が入つて行くと、旅商人が「さあさあ、此処が開いてるよ」と言ひ、先づスミの荷物を網棚に載せてくれる。次にお若の包みをも載せてくれる。礼を言ふ二人。
 土方が冷い眼をニヤリとさせて、その様子を見てゐる。
 更に視線を移して、ズツと離れて一番向ふの隅に陣取つた刑事と青年の方をヂロリヂロリと睨む。

 軽便はなかなか発車しない。

 連れの女を相手にボヤいてゐる金持の紳士「これだから嫌やになるんだ。いつそ自動車を雇つて[#「雇つて」は底本では「雇つ 」]D町迄飛ばすんだつたな。夜になつちまつた。これで又、この車が、丹念に一つ一つ停留所に停車して行く奴だよ。Dまで四時間では利かないかも知れん。こんなヘンピに遊びに来るのはもうコリゴリだ。保養が保養にならん」それに相槌を打つてゐる連れの女。
 向ふの隅に坐つた信太郎と、此方のお若は黙つて眼と眼を見詰め合つてゐる。

 発車のベル。

○そこへ駆け付けて来るサーカスの団員(中に楽士も二三人ゐる)一行の五六人。楽器などの荷物を持ち、口々にわめきながら、改札口をドヤドヤ走り入つて来て、車に乗り込む。――ダンサーの一人が逃げ出したことを語り合ひながら。(此の四五人はそのダンサーを捜しかたがた、サーカス団の殿《しんがり》として最後まで残つてゐたらしいが、もう出発しないと次の町の興業に間に合はぬので、一人を捜査役に残して出発するのである)――「なにしろ、ユリもうまい事をやつたもんだよ。お蔭で迷惑を見るのは俺達だ。ユリが見つからねえと、ダンスがやれねえから、捜すのはお前達の責任だぞと来た。団長も人は好いけど、直ぐに責任と来るから、いやんなつちまわあ」――等々と喋る。

 箱の中は急に賑かになる。
 (この間に、短いが、いろいろの風景と会話が点描される)

 発車。
 外はスツカリ夜になつてゐる。箱の中だけが照し出されて明るい。

○心細い速力で走つてゐる客車の内。

 窓外には黒々とした山や森や川等の風景。
 ポツリポツリと寂しく人家の燈火が点綴する。
 時々、列車は停留所(停車場)に停る。走つてゐる時間よりも停つてゐる時間が永い位の停車である。
 単線のためホンの二三ヶ所で一二の乗客が乗つて来るだけ。

 お若がスミに向つてポツリ、ポツリ、と言葉少なに語り出す話。――二人の直ぐ前向ふの席の隅に坐つてゐる土方が怒つた様なムツツリした顔でそれを聞いてゐる。
 ――近くに坐つた旅商人も勿論聞いてゐる。
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――(信太郎が地主放火犯人容疑者として引かれて行くやうになつた事情。……青年はかねてその地主の小作をしてゐたこと、地主から借金(滞納小作料)してゐたこと、最近小作料釣上げの問題から地主の方では小作田の取戻しにかゝつてゐて、それに就き信太郎の方から地主宅へ行つて交渉してゐたこと、極く最近に地主が青年をひどく撲り辱かしめた件の有つたこと、放火未遂当夜も宵の口に青年が地主邸へ行つてゐるのを村人から見られて居る事、そのために青年に対して好意を持つてゐる村人からまでスツカリうたがはれてしまつたこと等――。それから自分の境遇(少女の頃、製糸工場に女工に出てゐたが、病気になつて帰村し、貧しい兄の家に寄食して農業や家事を手伝つてゐた)と信太郎との夫婦約束のこと。(話の途中にも列車は一回停車する。話の一番デリケートな部分を停車中にさせるやうにはめ込む)
[#ここで字下げ終わり]
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 スミ「そいで、あんた、どうすんの?」
 お若「E市迄ついて行きます。そこで裁判のすむのを待つだ。信太郎さは必らず無罪になります。あの人は火附けなどをする人では無えもの」
 旅商人「待つと言つても、どうして待つてゐるんだね?」
 お若「勤め口を捜します。まさかとなれば身体を金に代へてでも稼ぎます。信太さんには誰一人差入れをしてやる人も弁護士を頼んでやる人も居ないのです。それにあの人の留守の家には病気のお母さんと子供が二人居ります。仕送りをしてやらねえと、かつえて死んでしまふ。それを私がしようと思つて居ります」

 お若の顔を見詰めてゐる土方。

 旅商人「そいつはいま時感心な話だ。なんなら私が勤め口の世話をしてやらうぢやないか。E市には口入屋に知つたのが居るし、もし又間に人を立てるが嫌ならば、二三里離れてはゐるが△△町の銀座会館と言ふ一流のカフエーのコツクに懇意な男がゐるから、いつそ、私と一緒に其処に行つたらどうだね? あんた位の器量なら直ぐに置いてくれるよ。料理屋などと違つてチツプチツプで稼ぎは大きいしさ。私にまかせなさいよ。今夜はどうせ遅くなるから、Dに泊つてさ。私が連れて行つてあげるから――」云々とひどく乗り出して来る。
 土方「……とんだ男気のある仁も有るもんだ、アハハハ。だつてお前さん、あの人が火附けなどをする筈は無いと言つてたぢや無いか? んぢや、直ぐに調べが附いて放免になる筈だ。そんな大袈裟な事をすることも無いやね」
 お若「それはさうですけど、信太さんには前申したやうに真犯人と疑はれても動きの取れない事情が有るもんだで……いづれ急には、どうと言つて――」

 旅商人「さうだなあ。そいだけ口が揃つてゐるんぢやなあ」
 土方(お若に)「ふん。警察にしろ裁判所にしろ、あき盲ばかり居る訳でもあるめえ。本当に犯さねえ罪なら、やがては身は晴れるだらうさ。そんな事よりも、本当に怖えのは、親切さうに持ち込んで……ヘツヘヘヘ」
 旅商人「……おい君!」とからみかける。「君あ、なにか……」
 返事をしないでヂロリと見る土方。二人の睨み合ひになつて、白ける。
 スミはお若に同情して、父から貰つた金の中からその半分ばかりをやる。辞退するお若。それをキヨロキヨロ見る旅商人。――結局お若、心から感謝して金を受取る。

○退屈しきつて、楽器を引つぱり出してブーツと鳴らすサーカス楽士。他の楽士が欠伸しながら、「畜生、ユリの奴、逃げ出したりするもんだから、こんな不景気な目に合つて俺達が糞を掴むんだ。見附けたら只は置かねえから」等々々と喋つてゐる。
 連れの女に酌をさせてウイスキーを飲んでゐる金持紳士。

 汚い車室内に現出されてゐる小さい人生の姿。――

 しびれを切らして立上つて、通路をゴトゴトと一人ダンスみたいな事をする楽士。――靴が何か踏んづけたと見えて、下を見ると、スミが区長から貰つた竹の皮包みが床に落ちてゐる。「こいつあ、いけねえ」と楽士それを開けて見ると、カンピヨーとオカラの煮たのと、えたいの知れぬ草の煮たものがコテコテと入つてゐる。楽士、変な顔をして眼を近づけて見る。
 スミ(ヒヨイと見て)「あら、それ、おらのだ」

 楽士「あんたのですかい?」
 スミそれを取る。
 楽士「それ、なんです?」
 スミ「御馳走だ。区長さま
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