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青年 ……いつも、こうですか? 実に、よく働く――
女 ……へえ。……そこへ、わしらが、年中、詰らねえ話ばかり持って来て。……おばさんの内を本家にして、親類の家がウンと有りゃして、……始終、どっかの家で、何か有ると直ぐやって来る……親類だけでは無く、さっきの人のように、村中の事から、よその家のもめごとまで、手に負えなくなると持ち込んで来やすから。……へえ、おばさんも大変でやす。……それに、自分の身の上の事では、へえ、笑ってばかりいて、人の事となると、直ぐに泣く……へえ、直ぐに泣き出すんだ。(又、涙声になっている)たまったもんで無え。……そうで無くても、へえ、自分とこの苦労だけで、背負い切れねえんでやす。
青年 ……内で、すると、困っている――?
女 ううん、困ると言っても……少うしだけんど田地も六七段有るし、小作もちったあやっているが、とんかく、働いてさえ居れば食うに困ると言う程では無えが、楽ではありません。……病人は居るし……伯父さんが、腎臓が悪くてもう三年ばかし寝たきりでやす。だもんだで、サダちゃんとおばさんがシンになって稼ぐのです。そこに、慎造さんとこの慎吉ちゃん――小さい子でやすが……慎造さんと言うのは、おばさんの二番目の息子でね、分家して甲州に行ってやすが……子供が多いので、孫の慎吉を一人だけおばさんが引取りやした……
青年 ……すると、おばさんの子供さんは全部で――
女 八人です。五人が男で、三人が女だ。……総領の慎太さんは満州で戦死しやした。……おかみさんも病気で死んだ。その子がサダちゃんでやす。……二番目の息子が、今言った甲州にいる慎造さんで、三番目は、よそへ養子に出て、四番目は出征中で、末の道雄さんは、こねえだ、ガダルカナルちゅう、とこで戦死しました。……娘は、みんなもう片づいてやして、その中の、まん中のスズさんの旦那が、やっぱし、今出征中……。
青年 ……すると、五人の息子さんの中で二人戦死なさって一人が出征中で――?
女 いえ、甲州の慎造兄さんも出征したんだけど、けがあして戻って来やした。
青年 そうですか。……
女 苦労の絶間が無えのです。……ことに、ガダルカナルで死んだ道雄さんと言うのは末の子じゃあるし、おばさん、じょうぶ[#「じょうぶ」は底本では「じようぶ」]可愛がっていたんで……黙ってなんにも言わねえでいるけど、へえ、つらかんべえと思いやす。(涙)……道雄さんから一番しめいに来たハガキを、おばさん、肌身に附けて、いつでも持っていやす。……いとしげに……。そんでいて、あんな風で、おかしなことばかり言ってる。人の事じゃ直きに泣き出す人が、自分の事では泣いてる暇も無えのづら。……腹ん中あ思うと、わしらが、へえ、いろんな事言って来られるわけのもんじゃ無えんだけど……へえ、つい、来るのでやすよ。……なんの事も無え時にゃ、おばさんの事なぞ、みんな、まるっきり思い出しもしねえ……苦しい目に会うと、急におばさんが恋しくなって逢いに来るだ……へえ、自分勝手なもんでやすよ。わしら――(涙を拭きながら、笑う)
青年 ……いや、私も、はじめ何でも無い唯のお婆さんだと思って……段々聞いていると、まるで、どうも……。はじめポッチリ雲が出て、なんでもない雲だと思っている間に気が附くとそいつが空一杯の入道雲になっている――船に乗っていると、そんな事があります。それと同じような気がします。びっくりしました。
女 ……(相手の言葉がよくは解らぬ)……そうでやすかね。
青年 しかも、自分では自分の大きさを知らずにいる。なんと言ったらよいか……私は、実は、非常にうれしい――うれしいと言うのも、変なものですが……ハハ(思い出したように軽く笑って)なんです……小さい時に別れたおふくろの事を考えていたら……あんなお婆さんに逢って……妙な気がします。なんですねえ、人と人とが、たった一度きり逢って、それっきり別れる……なんと言う不思議な因縁でしょうねえ。誰に向ってお礼を言ってよいか、わからん。ありがたくなります。
女 へえ、おふろくさんでやすか?……(なんの話だかわからず、青年を見る)
青年 ハハ、いや、それは此方の話です。どうも――
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(言っている所へ、奥の麦畑の方から刈り取った麦束のかさばったのを、荒縄で引っかけて[#「引っかけて」は底本では「引つかけて」]背負いにした百姓が、前こごみになってユサユサと戻って来る。青年と若い女がそれを見迎える。……百姓は千歯の傍の所で、荷物ごと仰向けにひっくり返るような具合にして麦束をおろす)
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百姓 どっこいしょと!(立上り、後ろへ廻って、千歯の踏板を踏む)
女 おばさん、湯がわいた。一服したら――。
百姓 ……(それには返事もせず、麦束を一つ取って千歯にかけながら、いきなり話し出す)へえ、昔なあ、板橋の下の宿に五兵衛と言う半百姓の猟師がいた。えら年功を終た[#「終た」はママ]熊が出やがってなあ……うむ、昔はこの辺にも熊が居たそうだ。畑あ荒すし、第一、物騒で山仕事も出来ねえつうので、とっつかまえろと言う事になってよ、この奥に追い込んだ。……そんで五兵衛さんと言う衆が、そいつば打ちに行く時に……じょうぶ[#「じょうぶ」は底本では「じようぶ」]でけえ熊だで命がけだ。……そで無くても、冬のさ中の雪の深い山ん中へ行くだから、下手あして、崖にでも落ちると、凍えて[#「凍えて」は底本では「凍へて」]死なあ。……その出がけに、五兵衛と言う人が、おかみさんに言ったそうだ。俺が戻って来るまで、火ば絶やすな。……そ言って出たっきり、三日三晩というもの戻って来ねえ。おかみさん心配で心配で、何にも手が附かねえ。んでもほかにどうしよねえから、胸ん中で亭主の無事を念じながら、セッセと火じろを燃やしてたそうだ。
女 ……(めんくらって)なんの話だえ?
百姓 (相手の質問を無視して語り次ぐ。その間も麦こきの手は休めない。傾聴している青年)……三晩立って、四日目の昼過ぎ五兵衛さん半死半生で戻って来ての話にな、熊に出会って、鉄砲玉あ奴の身体にぶち込んだにやぶち込んだなれど、死んだとも何ともハッキリ見とどけねえ中に、此方も崖からすべり落ちて頭あ打って、気い失ってる間に夜になっていた。気が附いて沢伝いに歩き出したが、とうとう道に迷っちまったそうだ。いくら歩いても里へ出ねえ。腹あ空くし、疵は痛む。その中に凍えて眠くなっちまって雪ん中でぶっ倒れてチョット寝ていちゃ、こうしていてはいけねえと気い取直しちゃ少し歩き、又あ眠くなって、ぶっ倒れる。又、歩く、……へえ、じょうぶ苦労して、やっと戻って来たそうなが、その眠くなっちゃ雪ん中さつっころげてウトウトしかけると、きまって、おデコの辺がムシムシしてな、家の火じろで火が燃えてるのがチラチラ見えたそうな。そんで、こうしていちゃいけねえと思っちゃ、引っぺがすようにして歩き出したそうだ。……あん時が危なかったと言って、後になって五兵衛さん身ぶるいしていたそうな。俺が小せい時に聞いた話よ。ふむ……そ言ったもんで、どこの家でも、火じろにゃ、火の神さまが住んでござらっしゃらあ、亭主が居る時は、亭主が火を燃す。……亭主が留守の間は、そのおかみさんが、火をみてるもんだ。……そで無きゃ火の神さまあ、家のむね離れてしまうて、よそに居る亭主は、つっころげた[#「つっころげた」は底本では「つつころげた」]まま、それっきりになってしまわあ。……そこの家のおかみさんと言うものはそれがつとめだらず。……たとえ、どんな辛え事があっても、へえ、火じろの所から動いちゃならねえづら。
女 うん……(はじめは、めんくらっていたが、百姓が、その廻りくどい言い方で以て何事を話そうとしているかがおぼろげながら解って来て、うなだれて聞いている)
百姓 そうだらず? な、シゲ。……その、二三日前に来た弟にしても、先方のおふくろさんにしても、身勝手と言や身勝手だ。……よっぽどの衆らしいや。……おっかあが[#「おっかあが」は底本では「おつかあが」]、どうでもお前をやらねえと言うのも、もっともだ。……だども、考えて見ろ、人間、誰一人身勝手で無え者があるかや? おっかあにしてもそうだ、お前にしてもそうだ、俺にしても身勝手よ。誰にしても、ウヌの尻がかゆい時に、人の尻を掻きやしねえ。ウヌの尻がかゆいのは、かゆい訳が有ってかゆいだ。どうにもなるもんでねえ。言わば、そう言うめぐり合せが来てそうなるだから、良いの悪いの言い立てて見たって、どうならず。へえ、そんな事あ、なるように打っちゃっといて[#「打っちゃっといて」は底本では「打っちゃつといて」]、自分は自分のするだけの事あするだ。……言わば、こらえてやるだ。……全体、女のする事あ、こらえてやる事だけだ。こらえる事の出来るのあ、女だけだ。……男にゃそったら事あ出来はしねえ。……女がこらえてやらねえじゃ、誰がこらえてやるかや?
女 へえ……。(しみじみと聞いている。青年は百姓の言葉の中から、彼女が言おうとしている事を掴もうとして、百姓の顔を見守っている)
百姓 ハハハ、俺が栃沢の家へ嫁に来てからの十四五年の間なんと言うものの辛さなんちうものを見せたら、お前なぞ眼え廻すべし。おふくろさまもおやじさまも、むずかしいの[#「むずかしいの」は底本では「むづかしいの」]なんのと言って。それに小じうとが五人から有らあ。……へえ、丁度道雄が生れる頃までと言うもの、俺あ、へえ、三百六十五日、帯い解いて寝た事なぞ、めったに無かった。……その道雄にしてからが――(言いさして、道雄と言う名が出て、何かをフッと思い出し、しばらく言葉を切って千歯の歯を見詰めていたが、やがてフッと笑って)あの小僧が腹に出来ていて、へえもう、おっこちそうになっていても一日半日寝てることも出来ねえ。やっぱし畑に出ていて、あんまり差し込んで来るで、こらえ切れなくなって、家へ戻る途中、畑の路で、まるでへえ、おっことしちまった[#「おっことしちまった」は底本では「おつことしちまった」]。……そんで、まあ、道で生れたと言うので、道雄だあ、あん野郎。
女 フ、フ、フ……。(青年も笑い出す)
百姓 フフ……万事が、先ず、そ言った調子だ。そんでも、へえ、俺がこらえてやらねえじゃ、家ん中で誰もこらえてやってく者は無かった。辛えと言えば、朝眼がさめた時から夜寝るまで辛く無え時なぞ一刻もあらすか。……んだから、しめえには、辛えなんて思う時も一刻も無しよ。……物事、そうたものさ。ハハハ、シゲ、お前岩村田へ帰れ。
女 ……へえ。
百姓 俺あ、源太郎が兵隊に出てるから、んだから、がまんして帰って居れと言うんじゃ無えぞ。……そりゃ、兵隊によけいな心配かけちゃ、いけねえ。いけねえけんど、こんな事は亭主が兵隊であろうとなかろうと、同じだ。……亭主のことを、いとしいと思うたら、帰れ、帰って、岩村田の家の火じろの所で、ぶっ坐っていろ。そんで源太郎も、いい戦が出来るだ。……源太郎も、それや、手紙ではお前に気の毒で、どっちに居てもええなんて言ってるが、ホントは帰って欲しいだ。
女 ……だども、うちのおっかさんが、どうでも反対じゃと言うて――
百姓 反対してもかまん。何を言ってもかまんから、うっちゃって、明日にでも突っ走って行っちまえ。後は俺がええ具合にしてやらあ。
女 へえ、んじゃ、わし。岩村田へ帰りやす。
百姓 そうしろ、そして、どんな辛え事があっても、もう川上にゃ戻って来るな。俺が辛抱すれば源太郎がシャンとして[#「シャンとして」は底本では「シヤンとして」]やってると思え。俺が辛抱出来ねば、源太郎、どっかでつっころげて、敗け戦あしてると思え。そう思って、岩村田の火じろに、ぶっ坐っているだ。たとえ、ぶたれても、蹴られても、源太郎のこといとしいと思うならば、動くな。
女 ……よくわかった。そんじゃ、川上のおっかさんの事、よろしく頼みやす。
百姓 ええともよ。全体お前のおっかあなんて言うものは、カンばかり強くって、なんでも直ぐに悪い方悪
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