の手間代も出ねえと言う具合じゃ、一時はまあ何とかやっていても、永続きはしねえ訳でね。そこんとこ、何とかうまい具合にして貰えんもんかと思いやす。……こんな事言うと、又、ばさまに叱られるがね、ハハハ。(百姓の去った方を見る)
青年 ……(相手の言葉をうなずきながら聞いていたが)すると今のおばあさんは、その……どう言うんです? 何と言う――?
中年 ばさまの名前かね?……ハハハ、そいつは、村の者でも、ばさまばさまだ。なあシゲちゃん、お前、ばさまの名前知っているか?
女 ……(麦こきの手をチョット休めて、微笑)栃沢リキづら?
中年 ほう、知ってるか。(青年に)この人は、ばさまの姪っ子で[#「姪っ子で」は底本では「姪つ子で」]やしてね。俺も実は遠縁になっていやす……うむ、此処の村じゃ――板橋と言うて、村々と言ってはいるが、ホントは大字でね、小さな部落だ――大概縁つづきの家が多くて、栃沢と言う苗字の家だけでも十二三軒有る。そんでいて、りき、……栃沢りき……おりきさんだなあ、ハハハ――ばさまの名を知っている者あ、珍らしい位のもんだ。それもそうだらず。へえ、芋んこみてえな、よごれたばさまが畑へえずり廻ってるだけだもの。ハハハ(と自分の形容に自ら笑う)
青年 ……(相手の話しぶりに微笑)
中年 ハハハ……全体、あのばさまなんて者は、へえ、村で……俺達の村で、へえ、なんと言ったらええだが……(この或る意味では雄弁な男が、手に取るように知っている老婆のことに就いて説明しようとすると、どこからどんな風に言えばよいのか直ぐには言葉が見つからない。しまいに若い女を振返って)……なあ、そうだらず?
女 へい……(これは微笑して、多くを語ろうとしない)
中年 ……なにさ……うん、あたりめえの、ばさまだ。どこの村にだって同じようなばさまの二人や三人、いつでも居るべし。川一つ山一つ越しゃ、へえ、誰一人知りゃしねえ。そんでも、ばさま居てくれねえと、やっぱし、こんで、俺達チョット困らあ。
青年 (おかしくなって)……よくわかりません。
中年 ……(うまく言えないので、自分に少しかんしゃくを起して、煙管を掴み、少しポンポンした口調になっている)んだがらさ……全体この……俺達が、なにしに此処へ来たと思いやす?(少し逆ねじの語勢)
青年 (やや閉口して)……先刻話していられた、その、家を畳んで、甲府の方へ行くといううちの事で――
中年 それだ! 喜十というマットウ仁でやすがね、甲府に縁付いた妹の家が貧乏で子供が多くてね、おまけにその妹が病身でなあ、これまでもズッとこっちから仕送りをして来やしたが、喜十の方だって、カツカツやっている位のこんで、近頃じゃ、とてもやってけねえと言うんで、仕方が無えから、甲府の家に一緒になっちまって、自分は工場へでも、どこへでもつとめて稼ぐ――そう言うわけだ。そんでまあ、小作田を旦那の方へ返すと言うだがね。旦那の方じゃ、ただ返されても困る。代りに誰か借りてくれないようなら、仕方無えから、銀行の手に移すと言う。銀行の手に移れば、後はどうなるだか……まさかおっぽり放しにもしめえが、なんせ、唯でせえ、めった人も来ねえようなこんな山又山の中のタンボだからな、当分手が届かねえのは知れたこっでね。せっかくウンウン言って田普請をしてから、二十年から人手に可愛がられて来た三段歩近くの立派な水田が、荒れることは定だ。第一、米や麦を一升でも二升でもよけいに作らなきゃならねえという今日が日に、そんな事になっちゃ事だからね。そんでまあ――
青年 誰かほかの人が借りて作るわけには行かないんですか?
中年 それが、へえ、駄目だ。こんな時勢で、出るだけの人間は一人残らず出て行った後だからね。板橋部落三十軒ばかり、どこの家でも浮いている人手なんぞ、それこそ半ぎれだって有りゃしねえ。精一杯のカチカチの所まで働いているんで、この上、小作などを引受ける家は無え。……そんでまあ、こうして来やした。(まわりくどい言い方でやっと此処まで言って、相手にそれが解ったかどうかにおかまい無く、自分だけは説明し尽し得たりとして、ホッとして、煙草に火をつける)ハハハ、なあシゲちゃん。
女 ……(微笑しつつ麦こき)
青年 ……だけど、そんな、誰にもどうにも出来ない事を、あのお婆さんに。
中年 谷の方さ行ったなあ。それだ、ハハ、田の水う引っかきまわしながら、考えるづら。何事によらず、相談事もちかけられると、先ず[#「先ず」は底本では「先づ」]仕事をしる。仕事しながら、黙あって考えてら、おかしなばさまだよ。
青年 ……(考えている。相手の何もかも任せきった調子に対し、おりきのために、軽い反感を感じながら)しかし、そいつは――
中年 それだけじゃねえ。手の足りねえ出征家族に加勢する仕事でも、炭を山から運び出すことでも、そのほか此処らの村で目ぼしい事は、ばさまが大概先頭だ。ほかの者あ、大概理屈を言ってから、その理屈がのみ込めてから、はじまる。ばさまは理屈言わねえ。やらなきゃならん事は、やるべし。そんだけだ。ほかの者が理屈言ってる間に、ばさま手を出しちゃってる。米麦増産だあとなったら、黙あって、あくる日から自分だけ、今迄、朝五時に畑さ出ていた[#「出ていた」は底本では「出てい 」]奴を四時に出はじめたのもばさまだ。
青年 四時にですか?
中年 此処だって……此処は村の草刈場でね、共有の入会地だ。おとどしだったか、一人でコリコリやってると思ってたら、見る内に麦い蒔いちゃってる。じょうぶ[#「じょうぶ」は底本では「じようぶ」]、手が早えと言っても!
青年 (麦畑を見まわして)これを一人でねえ……。
中年 ハハハ……(立ちあがって、黙って麦束を掴んで千歯に寄る。一言も言わなくても、代って麦こきをする気であることが解り、若い女は麦こきの手を止めて、わきに寄って、立って見る。その交代する様子が、馴れていると見えて、自然である)……(ブリブリとこきながら)へえ、近頃じゃ、村会のお旦那の言うことなど、どうかすると聞かねえ者も、ばさまの言う事は聞きやす。もっとも、ベラベラしゃべくるわけじゃ無えから気が附かねえ者あ、まるきり気が附かねえ。黙ってやってるのを、一人二人と見ならってやって行くだけだがね。……(青年はジット眼の前を見詰めていて返事をせぬ。中年男は三束四束とこき進んで、しばらく口をつぐんでいたが、何を思い出したか、急に笑い出す)ハッハハハハ、ハハハ……だども……ばさまにも一つだけ、どうにもならねえ事がある! 弘法さまにも筆のあやまりか。ハハハ……
青年 ……?(中年男を見る)
中年 こいつだけは、畑で作り出すわけにゃ、いかねえから、いい気味だ。なあシゲちゃん。お前、持って来たかえ?
女 へえ、いや……二三日前、小諸に行ったもんで捜したけど、近頃配給になってしまって、ロクなもん手に入らなくて……(帯の間から紙につつんだ小さい物を出す)ホンの二三本……
中年 縫針かあ、そいつは豪勢だ。俺あ、へえ、捜したりしている暇あ無えし、仕方無えで、組内かっさらって、木綿糸が、たったこいだけだ。(笑いながら、懐中から小さく巻いた糸のかたまりを出す)
青年 ……?
中年 (物問いたげにしている青年を見て笑い出し)ハハハなにね、此処のばさまは、物見に出歩くじゃ無し、三百六十五日、野良着で働くだけで、食うものにも着るものにも、まるっきり慾はなしね。野良さえ稼いでれば、金え溜めても仕方がねえと言った仁でさ。ただ、ボロッ着物や袋なぞのツクロイ仕事をするだけが、じょうぶ好きでね、雨や雪で、野良へ出られねえ日は、ヒジロんとこで、ボロ縫う、そんだけが道楽だ。だもんで、縫針や糸やなんぞにゃ、まるきし、目がねえ。まるで、へえ、女の子みてえに、針や糸ほしがる。そんでね、村の者あ、ばさまの所に来る時あ、針や糸持って来ちゃ、帰る時にこうして、置いて行きやす。(言いながら、自分の持って来た糸と若い女の針の包みとを、千歯のそばに置いてある箕の尻の出っぱりの上に置く)
女 (微笑)……いつか、おばさん、なにか、是非して見たい事はねえかって、聞いたらば、そう言ったですよ……スフやなんかで無え、丈夫な、そして白だの黒だの赤だの青だの、いろんな色の糸どっさりそろえて、思い入れ、ボロ縫って見たら、良え心持だらず――
中年 ハッハハハ。
青年 (これも笑いながら)……すると、先刻、この(と胸のポケットにチョット触って)裁縫の道具のことも――?
中年 そうだそうだ! ばさま、ヨダレを垂らしていたづら! アッハハハ。
女 ……(はじめて声をだして笑う)
青年 ハハ……(これも釣られて笑うが、しかし直ぐに笑いやむ。笑うには余りに深い所で打たれている)
中年 猫にカツオ節の候であらすか! アッハハハ、ハハッハハ。
[#ここから2字下げ]
(そこへ、上手のカシバミの叢を分けて、片手にヤカンを下げた百姓が、相変らずのヒョタヒョタしたような歩きつきで戻って来る。以前と少しも変らないニッタリとした瓢々とした顔と態度である――これは最後まで変らない)
[#ここで字下げ終わり]
百姓 (中年男に)あんだえ?……(寄って来て)なんの話だ?
中年 ハッハハ、猫にカツオ節の話だあ。ハハハ。
[#ここから2字下げ]
(若い女もクスクス笑う)
[#ここで字下げ終わり]
百姓 カツオ節か、ふむ……(笑おうとはしない。ヤカンを青年に渡す)へい。
青年 どうも、すみませんでした。(百姓が戻って来てから彼女の顔ばかり見守っている)
百姓 なんなら、そこいらで火い燃して、わかして飲みなせえ。
青年 はあ、いや、これで結構です。
百姓 (青年がまるで自分の顔から何かを捜しでもするように見詰めているので)……どうか、しやしたかい?
青年 いや……
百姓 ……ふう……シゲ、お前、わかしてやれ。(言いながら千歯の方へ)
女 へえ……(そこらに落ち散っている小枝を掻き集めにかかる)
百姓 ……(自然な動作で、麦束を中年男から受取って、こき始める。中年男は傍にどいて、立ったまま彼女を見ている。青年も彼女の方を見守っている。その二人の視線の中で、黙ったまま一束をこき終り、二束目をこき、こき終った穂先きに、こき残りの穂が無いかと調べながら、ヒョイと声を出す)……へえ、喜十は甲府へ出たら、よくねえづら。
中年 そりゃ、はじめから、わかっていやす。そいつを、しかし、喜十がどうしても聞かねえから――
百姓 (相手の言うことを聞いているのか聞いていないのか、こき残りの穂を指でむしり落しながら)板橋にゃ、総体で七八町歩しきゃ水田は無えだ。そん中から二段歩も荒してしまうことになると、ことだあ。……甲府は甲府でやって行きゃ、ええ。なんなら、甲府を引払って喜十がどこへ皆で来るだ。
中年 そいつがさ、そいつが……そりゃ、はじめっから、わかってやす。それを承知で、どうでも行くと言って聞かねえんだから、組内でも、へえ、どうにもこうにもアグネ切って――
百姓 国三さ……米あ今、一粒でも二粒でも、よけいに作らざならねえづら?
中年 そ、そりゃ、この際じゃから、勿論――
百姓 虫のせいやカンのせいでは、無えづら。ウヌが儲けようと言うでも無え。
中年 勿論そりゃ、お国で、どうしても要るだから――
百姓 そうづら? そんだら話あ、わかってら。
中年 それがさ、喜十が、あんとしても――
百姓 ハハ、喜十がとこへは、今晩、俺が行くべし。
中年 へえ! ばさま行ってくれるかえ? そうか、そうして貰えりゃ、もうへえ……こんなありがてえ事あ無え。そうかい、そんじゃ、そんな風に頼んます。へえ、そうしてくれれば――
百姓 どうでも苦しいと言うんだら、須山さんの旦那のとこ俺が出向いて、年貢を二三年まけてくれるように頼んで見るべ。
中年 そりゃ……へえ、それだと部落会の方からも俺達一緒に行ってもようがす。旦那の方でそれ聞いてくれ、喜十も考え直すことになりゃ、あっちもこっちも丸く行かあ。
百姓 もし、へえ、どうしても、喜十も聞かねえ、旦那も聞かねえとなったら、あのタンボ
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