じめな顔をして立っている)
青年 ……(たかが裁縫道具に百姓の讃嘆があまり子供らしく度はずれに激しいので、微笑しながら道具をしまいかけそうにするが、相手が殆んど撫でさすらんばかりにしているので取上げるわけにも行かず、そのままにして、包みを開いて握り飯を食いはじめようとして、何の気もなくそっちへやった眼が、中年男と若い女を見つける)
百姓 (そんな事には一切気付かず)第一、この箱がキレイだ。なんと、まあ――
青年 ……(二人を見ている)
百姓 東京には、こんなもん売っていやすかえ?
青年 いや……なんでも、かなり昔のもんです。(黙って立っている二人を気にしながら、飯を噛みはじめる。様子が百姓の所に来た人達らしいので二人と百姓を見くらべて)あのう……。
百姓 そうだらず。へえ、いまどきの物とは違うようだ。うむ!(一人うなずいてケースを老眼にくっつけて見たり離して見たりする)
中年 ワッハハハハ、ハハハ!(こらえ切れなくなって、くわえていた煙管を片手に取り、鼻の穴を空へ向け、腹をゆすって笑い出している)ワッハハハハ!
百姓 う?……(働いている時に声をかけられてあれ程びっくりした人が、今度は出しぬけに哄笑されても大して驚ろきもしない。その方を見て)……なんだあ、国三さんかえ?
中年 ハッハハハ! ハッハハ! (笑いながら尻餅をつくようにして草の上にドタンと腰をおろして煙管に煙草を詰める)
百姓 いつの間に来ただ? シゲも一緒にか?
女 今日は、ええあんべえです。へえ、小父さんの見舞がてら寄ったら、国三さまも見えやして、此方に来ると言いなさるんで、そんで一緒に――
百姓 へえ……(まだクスクス笑っている中年の男の方を見て)又、なんか用づら? 堆肥の事かや?
中年 堆肥の事も堆肥の事だけんど、先ず、まあ、その裁縫の道具、手から離さっし。
百姓 うん?(言われて、まだ自分の手に有ったケースを見て、急にドギマギして)へえ……その……(握り飯を手に持ったまま、三人のやりとりを見ていた青年に)では、これ、どうもへえ……ありがとうござした。
中年 ヘッヘヘヘ。
百姓 フッフ――(少し顔を赤くして、掌で顔をゴシゴシとこする。若い女もニッコリして見ている)
青年 ……(ケースを胸のポケットにしまって)どうしたんです?
中年 ハハ、なによ、このばさまに、針だの糸だのを見せたら、もうへえ、おしめえだあ! ハッハハ……(若い女も、それから笑われている百姓自身も笑っている。青年も意味はわからないながらニコニコして飯を噛む)
百姓 国三さの阿呆。(口の中でブツブツ言う)
中年 ……(煙草に火をつけてプカプカ煙を吐いていたが)へえ、阿呆に違え無え。阿呆でなきゃ、こうして二日も三日も、バッタの様に頭を下げ詰め、足あ、すりこぎにして、喜十がとこと海尻との間あ、お百度踏んでいやしねえづら。ハハ(まだ笑いながらであるが、此処にこうしてやって来た話の、いきなり中心点から語り出したらしい)……部落常会の世話役も、俺あ、もうへえ、大概いやになりやした。大体、俺なんぞ、世話役なんぞやる器量で無え。百姓やりながら、おこさまの指導員やってる位が精一杯だ。もっとも、おこさまも近頃みてえじゃ、指導員もあがったりでやすがね。ハハハ。
百姓 ……(ポカンとして聞いていたが、やがて中年男の話の後半を全然無視して)喜十がとこじゃ、どうでも、それじゃ、甲府へ出るちうの諦めねえだか?(中年男、ひげ面でガクリとうなずく)……こねえだの寄合いで、あんだけ皆の衆から言われてもなあ?(中年男ガクリガクリとうなずく)……夏場忙しい時あ、村の家ごとに廻りもちで人手を出してやると言ってもかえ?(中年男うなずく[#「うなずく」は底本では「うなづく」])……うむ、……そんで、海尻の須山さんじゃ――?
中年 須山さんじゃ、はじめから言っている通りでなし。今更こんな山ん中へ入り込んで自分手であんなむずかしい二段歩からの水田を作りつづけて行く人手は無え。喜十がどうしても甲府へ出るんならば、致し方無え、丁度整理する時期も来ているで、銀行に渡してしまう……
百姓 うーむ……
中年 なんしろ、あすこでもかしら息子が兵隊に出て以来、居まわりでやっている二町歩足らずでも精一杯だで……こうなると論でも無きゃ筋でもねえ。現にやれねえだからなし、話したからって法がえしは附かねえ次第だて――
百姓 ……すると、喜十に泣いて貰うほかに仕方が無え――
中年 その喜十がでさ、……なんしろへえ、須山さんや、なんなら年貢なぞ段当り一俵ずつへらしてもええと言うとるんじゃが、こんで、叩き分けの時分に較べりゃ先ず五俵からの儲けじゃが……俺あ、へえ、年貢が高えの安いのを言っとるんじゃ無え、たとえどんなに安くっても、いまどき、俺達みてえな、からっ小作、やってけねえものは、やってけねえ……甲府の娘の内も見てやんねえばならねえし、暮しが二手に分れていて物入りもかかる。このまま行けば両方とも首くくりもんだ。んだから甲府へ出て家を一つにして俺あ職工になる。行くなと言われる皆の衆の話はわかるけれど、そんじゃ、俺達の一家で首くくれと言うのか。……どうでも俺あ行く。行くのが悪ければ、仕方が無えから、俺とこ、好きなようにしてくれ。……こうだ。まるでもう、血相変えていやす。喜十の身になって見りゃ無理も無え。無理も無えことが、ようくわかっているから、俺たちにも、これ以上……。
百姓 ふむ……んでも、先ず、秋になって取入れをすます迄は、これで、だいぶ間もあるから、野郎にようく考え直さして――
中年 それが、へえ、喜十の口ぶりでは、秋になっての話がうまく運ばねえような見込みだと、青田のまんま、今直ぐにでも売っ払って、年貢は金にして払ってでも、国越えをする気らしいで……へえ。
百姓 ……そいつば思い切ったもんだ。……(草の上にアグラを組んだ足の、わらじを穿いた足の先きで、夜なべ仕事の癖ででもあるか、その辺の草の葉でワラジを[#「ワラジを」は底本では「ワラヂを」]編む手附きを無意識にやりながら、語られている問題を考えているのか考えていないのか、遠くを見ている……)
中年 ……(落着いて、煙管に煙草を詰め代え[#「詰め代え」は底本では「詰め代へ」]ながら、百姓の横顔を見ている。……青年は先程から握り飯を食べながら此の場の話に耳を傾けていたが、話の筋道はよくのみこめないながら、重要な話であることはわかるだけに、百姓が黙り込んでポカンとなってしまったことも、それを黙って待っている中年男の様子も、少し腑に落ちぬため、二人を見くらべている)
百姓 うむ……(とうとう返事はしないで、フと若い女の方へ眼を移し)シゲ……お前は、また、なんの話だあ?
女 ……わしあ、後で、なにするから――(下げて来たフロシキ包みを解き、中から新聞紙に包んだ白い丸い物をいくつか出して、草上にひろげる)少しばかし拵えて来たから……へえ、ソバ粉が残りもんで、うまかあ無えけど……
百姓 そうかい、そいつは御馳走だ。(丸い大きなダンゴの様なものを一つ掴み取って、紙を中年男の方へ押しやる)
中年 へえ、今頃、ソバのおヤキは珍らしいな。(遠慮なくこれも一つを取って食う。相談事などは何処かへ行ってしまったような景色である)
百姓 (食べながら)……お前さまも一つ食って見なせえ。(一つを取って、握り飯を食べ終って水筒を開けかけている青年に手渡す)
青年 なんですか、これ?
百姓 おヤキと言ってな、ここいらの食い物で、大して、うまかあ無え。(人が土産にくれたものをズケズケと[#「ズケズケと」は底本では「ヅケヅケと」]言う)
中年 (若い女を顧みてクスリとして)ばさまにかかっちゃたまったもんで無え。(青年の方へ眼を移して笑いながら、食っている)
女 ……(ニッコリして、これも青年を見る)
青年 やあ!(口をつけて呑もうとした水筒がスッカリ空である)
百姓 水かえ? 水なら……(傍のムシロの端に置いてある黒いヤカンと茶碗を取ってやる)
青年 すみません……(ヤカンから茶碗に水を注ぐが、水はチョロチョロと少しばかりこぼれて来るだけ。変に思ってヤカンのフタを開いて覗いて見て笑い出す)
百姓 ……?(口を動かしながら青年の顔を見る)
青年 川はどっちに有りますか?(立ち上る)
百姓 うん?
青年 汲んで来ます。
百姓 あ、そうかえ!(大きな声を出す)そうそう、うっかりしていた、空だったて! ハハハハ、阿呆だ、俺は!(立って)よしよし、へえチョックラ汲んで来やす。(青年からヤカンを取る)
青年 いや、自分が行きますから。(上手を指して)この下でしょう?
百姓 下は下でも、ここいらの沢あ深いで、五六丁も谷をおりる。第一、路なんぞ無えから、お前さまにゃ無理だ。
青年 でも、それじゃ――
女 (既に歩き出している百姓の後を追うようにして)おばさん、水汲みなら、わしが行って来やすから。
百姓 なにさ、俺あ、ついでに川っぷちのタンボの水加減見て来なきゃなんねから……お前はそこで休んでいな。
女 水、おとすんかい? 水おとす位の事なら、わしにだって出来るから。
百姓 おとすんじゃ無え、水口の温度見て来るだ。今日ら、少し煮えてるずら、今丁度稲あホキてる最中だからな、下手あするとしくじらあ、……(立停って)それとも、シゲにタンボの水加減、わかるか?(からかうようにニヤニヤして女を見る。女はモジモジしている)
中年 やあ、そいつはおシゲさん、やめにしときな。此処らの稲作のことで、そのばさまにかなう者は居るもんじゃ無え。(笑う)
百姓 ハッハハ。(笑いながら、上手のカシバミの叢を分けてサッサと歩み去る)
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(短い間……谷の方へ降りて行きながら歌い出している百姓の歌の声)
[#ここで字下げ終わり]
青年 (貰ったおヤキを食べにかかりながら)……そんなに農作のことにくわしいんですかね、あのおばあさん?
中年 くわしいにも、なんにも、――わしら、これで農産の指導員みてえな事していますがね、年中叱られ通しだあ、ハハハ……こんで此処らあこんな山ん中だで、タンボでも畑でも、平坦地方とは加減がまるきり違いやすからね、そこで、なんせ、五十年からの功を積んでる仁だもの、喧嘩にゃならねえ。
青年 だけど、気の軽い、面白いおばあさんですね。(思い出して微笑)はじめ、お爺さんだとばかり思っていて――。
中年 そうですかい。いやあ、気が軽いだか重いだか――へえ、唄あ唄ってら。(百姓の唄声が風に乗って流れて来る。しばらくして、崖でも降りたのか、フッと消える。若い女は千歯の所に行って麦をこきはじめる)
青年 あれは何の歌です? この辺の昔からの?――
中年 なに、ズッとせんに、流れもんの炭焼きから習ったとか言うこったが、ほんとだか嘘だかな。お天気が良かったり、仕事の運びがうまく行ってる時なんぞにゃノベツ歌ってるが、改たまって歌えと言っても、歌うこっちゃ無え。いいかげん、デタラメづら。
青年 ハハハ……ノンキでいいなあ。
中年 (びっくりしたように相手の顔を注視するが、直ぐに笑い出す)佐様さ、ハハハハ……全く、とんだ、クワセモンのばさまさ。
青年 ……クワセモン――?
中年 あんた東京でやすか?
青年 はあ、いや……
中年 東京へんでは、近頃、だいぶ、この、野菜物なんぞ不自由だと言うが、白菜だとか大根だとか、どんな具合ですかね?
青年 さあ……僕には、どうも、よくわかりませんが――
中年 この辺からもチット東京にも出したいと思うとるが……こんな土地で、いろんな野菜は出来ねえが、白菜と大根それにジャガイモだけは、ほかに負けねえ……なんせ、しかし、荷受先が、以前から名古屋あたりばかりで、東京へは、まだ、へえ、いくらも出して無え。――んでも、この、東京あたりも、前からみると、だいぶ変ったそうでやすね?
青年 そう……変ったそうですね。
中年 まあ、へえ、わしらも、野菜位、町の人に食って貰いてえと思っているが、なんせ、荷造りをして運賃を見て積出しても、仕切値段が、こっち
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