なきゃ、馬鹿にでも出来やす百姓なんぞ。好きな時に起きて寝て、泥の中さ、へえずり廻ってな、大飯くらって屁えこいてりゃ済まあ。……こら、こん野郎!(と千歯の歯に引っかかった麦束の穂を力まかせに引き抜く)
青年 ……近頃は、しかし、増産々々で、やかましいようで――
百姓 ……うむ……増産かい。そうよ、百姓は年中増産増産だあ。……昔っから、一升でも二升でもたくさん取りてえのはきまってたこんだ。十六七年前に穀物の値がうんと下った時分にゃ、作付を減らせと言われてなあ。……そん頃だって俺だちゃ、ちっとでもたくさん取ろうと思ってウンウン言ったもんだ。ハハ。そんなもんよ百姓なんつうもんは。
青年 ……今年はどうです、出来の具合は?
百姓 今年は良えだよ。……土用に入ってからの天気順が良かった。……殊に麦作は良え。こら、こんな実の入りようだ……(こき落した麦の穂を掴んで見る。青年も寄って行きそれにさわる)……去年あたりに較べりゃ[#「りゃ」は底本では「りや」]、一倍半と言うとこずら。ハハ……
青年 やっぱり、出来が良いと嬉しいでしょうね?
百姓 うん、そりゃ、うれしい……んだが年まわりと言うもんが有ってね、いくらうまくやっても悪い年も有る……こんで、だから、作が良くっても俺たちゃあ、それほど喜こびもしねえし、悪くたって、それほどしょげ返りもしねえですよ。……二年三年位じゃ、泣いたり笑ったりも出来ようが……こんで十年の間をならして見ると、良えも悪いもねえ、毎年同じだあ。
青年 ……(なんの気もなくポツリポツリと語りながら、休まず急がず麦こき進んで行く相手の横顔を見守っている)
百姓 ……やれ、どっこいしょと、……ほう、少し風が出て来た。丁度、叩いてすます頃にゃ、ええあんべえの風にならす……(麦をこき落しながら、無意識に鼻歌が出て来る)
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(間)
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青年 ……なんの歌です?
百姓 あんだえ?
青年 その歌は、なんという歌ですか?
百姓 歌?……なんの歌だ?……
青年 ……先刻も小母さん歌っていた……?
百姓 おらがかえ?……(少しびっくりして青年を見てから、頤を引いて、自分の胸や左右の肩のあたりをキョトキョト[#「キョトキョト」は底本では「キョトキトョ」]見まわす)
青年 ……もっと大きな声で歌って聞かせてくれませんか?
百姓 ……(更に青年の方へ眼をやってから、自分が鼻歌を歌っていたのを思い出したのか思い出さないのか、どっちとも附かず、ただ、急に女らしい、と言うよりは、殆んど少女の示すような、はにかみを現わした顔。その顔を、しかし、片手で邪慳にゴシゴシとこすりまわして)……へえ、おら、歌など唄えねえ。
青年 ですから、今唄っていた――
百姓 ハハ、お前さまこそ、歌あ唄って聞かしておくんなせえ。東京の衆は、うめえづら。……(チュン、チュンと思い切りよく手ばなをかんで、再び麦こき)
青年 ……(クスクス笑いながら)……じゃ、僕が唄えば、小母さんも唄ってくれますか?
百姓 う? へえ。……(それには返事をしないで)学生さんは、ノンキでようがすの。
青年 小母さんが聞かしてくれれば、私も唄いますよ。
百姓 フフ……お前さま、なんの学校でやす? いずれ大学校づら?
青年 いや、学生ではありません。ズーッと……船に乗っとる者で――
百姓 船かえ?……船になあ……するちうと、海の上、走っているだね?……太平洋なんと言う――?
青年 はあ、……先ず――
百姓 そんだら、ガ……ガタル……ガタル……ガダ……あんでも、ガダ……へえ、舌あ噛みそうだ。
青年 (微笑)……ガダルカナルですか?
百姓 そうそう、そったらカナルだ。行ったことがありやすかね、そこへ、お前さまあ?
青年 いや、まだ行きませんが……どうしてです?
百姓 ううん、いや……(何か考えているらしいが、麦こきの手は休めない)……(気を変えて)船の人が、だども、山へ登ると言うなあ――? 今どきあ、忙しからずに?
青年 三四日、休暇が出たもんですからね……急に此方へ来たくなって――だけど、馴れないもんだから、山路の遠いのにゃ、驚ろきました。直ぐ其処に見えてる山を越えるのに、とんでもない所をグルグル廻る……。
百姓 山登りは、はじめてかね?
青年 いえ、もともと山は好きなんで、以前少しは登ったんですが、八ヶ嶽は、はじめてです。……富士見に降りて、あの辺を歩いて見ようと思って……少し歩いていたら、急に此方へ越えて見たくなりましてね……。
百姓 ふむ、富士見からね? そいつは御苦労さまだ。
青年 なに、おっ母さんの室の窓から、年がら年中、見えるものと言えば此の山です。あれを越して行けば、川上、野辺山……それを抜けてズンズン行けば秩父へ出られる……何度も、そんな風に聞かされているもんだから、つい、どうも……。
百姓 おふくろさんは富士見にござらすかえ? そうかえ。おふくろさんに逢いに戻って来やしただね?
青年 はあ、……いえ。――
百姓 すると、お前さまのおふくろさんは富士見の人かえ? そうかえ、富士見にゃおらの知ってる人も居る。森田の宇えさんと言って、じょうぶ鼻のでっけえ――
青年 いえ、村の人間じゃ無いんです。久しく富士見の病院に入っていたんで。……中学時代に僕あ、チョイチョイ、見舞いに来て……その病院の窓から、おっ母さんが此方を指して話してくれたんで――
百姓 ……すると、病気かえ? そいつは、いけねえ。そんで、ちったあ、良い方かね?
青年 なんです?
百姓 おふくろさんよ、その。
青年 (びっくりして、それから微笑)ああ、母は、死んだんです。……ズッとせん、富士見で。
百姓 ……(フッと麦こきの手を停めて、青年の方を見る)……そうかえ。
青年 (少しテレて、微笑している)なに……ですから、なんとなく……そこいらを歩き廻って見たくなったもんだから……
百姓 ふむ……(両手を、曲った腰に当て、シミジミと青年を眺めている)……いくつの時だあ?
青年 ……十七んときです。
百姓 今、いくつになりやした?
青年 僕ですか?……二十六です。……どうも、ハハハ。……(困って、手持ぶさたで、積んである麦束に近づき[#「近づき」は底本では「近ずき」]、なんとなく、麦束を取り上げ、それをこく真似をする。次ぎにホントにこいで見る気になって、踏板をしっかり踏んで、ブリブリとこく)
百姓 ……(その姿を、まだ見ている)
青年 ……(相手の視線を無視して、一束こき終った時に、右のズボンのポケットにゴロゴロする物が邪魔になるのに気付き、それを取り出すと、紙袋に入った飴玉)
百姓 ……さぞ、なあ。
青年 ……(百姓の方へ寄って行き)これ、残りもんですが……(自分で紙袋から飴玉を一つ出して、百姓に渡す)
百姓 う?……(別のことを思っているので、ウッカリしたまま手を出して受取る)……なんだ?
青年 ……(紙袋の方も渡して、百姓の手元を見ている)
百姓 そりゃ、へえ……ごっつおさまだ。(無造作にポイと飴玉を口に入れる)
青年 その手……指は、どうしました?
百姓 うん?……(チラッと自分の手を見てから)うむ、……ヒビやアカギレだらず……年中、こうだ。……あに、へえ、痛くも痒くも無え、……こりゃ、へえ、ぢょうぶ甘えもんだ。(歯の無い口の中を飴玉を彼方へやったり、此方へやったりしながら、やっぱり腰に両手をかった姿で、無表情な顔のまま、再び麦こきにかかった青年の姿に目をやっている)……ふむ……おふくろさんに逢いたからず?
青年 ……(チラッと百姓の方を見るが、直ぐはにかんだような微笑を浮べて麦こきの上にかがみ込む)
百姓 ……いとしげに。……(その大きな荒れた指先を眼の下へ持って行って流れて来た涙をこすり取る。いつまでも小さくならない飴玉を歯の無い土手でゴリゴリと持ちあつかいながら)
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(間……青年が何かムキになってこき進む音だけが、ブリリ、ブリリと響く……)
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青年 ……ドッコイショ、と……いけない、こいつはまだ残っている……(もう中止しようと思う最後の麦束を、もう一度叮寧にこき直して……)やって見ると、これで、コツが有るもんですね……(中止して手をはたきながら少し上気した顔で百姓を振返ると、まだボンヤリと自分を見ている百姓の眼にぶっつかって、チョット目を止めるが、テレて片掌で額を拭き)ハッハハハ……(先刻からの会話から醸された[#「醸された」は底本では「酵された」]気分を打切るように笑う)ハハ。
百姓 ……(しかし、これはその笑いに乗って行こうとせず、単純な自然な動作で、黙ってトコトコと寄って来て、青年と入れ代って麦こきにかかる)
青年 ……そうだ、飯を食っちまっとくか。……(リュックサックの方へ行き、それを開けにかかる)
百姓 ……(身体を動かしながら)おまんま食べるんだら、湯でもわかしてやろうかな?
青年 いや、水でたくさんです……(言いつつ握り飯の包みを取り出しかけて、フとリュックサックの一個所に目を附け)いけない、……何かに引っかけた。ええと……そうだこっちが先だ。(草の上に坐り、握り飯の包みを傍に置き、リュックのポケットから、小さいケースを取り出し、それを開いて、糸と針を取り出して、馴れた手付きで針に糸を通して、サッサとリュックのほころびをつくろいにかかる……。
百姓 ……(急に青年が黙りこんでしまったので、そっちを見る)水なら、そのヤカンに――(飯を食べていると思っていた青年が針を使っているので、しばらく眼をこらして見ていたが)どうしやした?
青年 やあ……(セッセと縫う)
百姓 ……(また二つ三つ手を動かして麦をこくが、なんとしても気になる様子で青年の手元へ眼をやったままである。そのうちに、そっちの方へ自然に引き寄せられるように寄って行く。片手に麦束を握ったまま)
青年 ……借りて来たリュックですからね……そいつが、また、なかなかやかましい山男で……ほころびをさせたりしていると、説教だ。……(縫いながら)
百姓 うーむ……(低く唸るような声を出す。腰を曲げ、両方の膝に両方の手を突いて、青年の手元を覗く)……うめえもんだなし! 男のくせに……おらなどより、うめえ。
青年 なに……年中船の中にいるもんだから、……みんな、こうです。
百姓 そうかい、そいつは……(青年が縫い終るまで、まじろぎもしない)
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(そこへ下手の小径からスタスタ出て来る二人の人。前は野良着に巻脚絆に戦闘帽の中年の男。伸ばしっぱなしにした不性髭の中から眼鼻が覗いている毛深い農夫で、荒縄の帯に鎌を差し、横ぐわえにした煙管から煙、後はまだ廿四五の若い女で、キリリとした袷にカルサンに草履、片手に小さいフロシキ包みを下げ、白粉気の無い白い顔が引きしまり、沈んだ眼の色。……二人は老農婦が此処で働いている事をよく知っていてやって来たもののようで、直ぐに百姓と青年の姿を認めて、スタスタ寄って来る。殆んど足音を立てないので縫物に集中している青年も、それを穴のあくほど見守っている百姓も、気が附かぬ。中年男と若い女は二人から三四間の所に立停って、黙って突立ったまま、同じように青年の手元を覗き込む……)
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青年 ……これでよしと。(縫い終ってケースから小さい鋏を出して糸を切る。中年男と若い女にも此の場の様子がわかって来る)
百姓 へえ! なんたらチャッケエ鋏だあ!(讃嘆の叫び声)
青年 ハハ、これで、案外よく切れるんですよ。(鋏を百姓の手に渡して見せる)
百姓 (それを、大きい掌の上で打返し打返して見ながら)へえ、まあ! かわゆらしい! こんでなあ、切れるかや?(それまで珍らしくも無いと言った様子で眺めていた中年男が、肩をすくめる)
青年 (ケースを示して)これが指ぬきです。これが糸、これが針差し、先の曲った針もあります。そいから――
百姓 一式そろっていやすね! ふーむう(惚れ惚れとして見入っている。中年男はニヤニヤしている。若い女はきま
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