に引合わせてくれた……そう言ったような……なにか、これでいいと言う気がしました。
百姓 さうかえ……うむ……おふくろさんを、そんなに、なあ……(もう涙ぐんでいる。涙でケースがよく見えないので指で眼尻を拭く)
青年 (微笑)それから、なんだか、ひどく安心しました。……帝国、万才だと思いました。……実は、その道具は、母が自分の父の所にかたづいて[#「かたづいて」は底本では「かたずいて」]来る時に、母の母が――つまり私のおばあさんが、母に買ってくれたものだそうで、母は大事にしていましたが、自分が最後に富士見に見舞いに来た時に、呉れました。……だいぶ役に立ちましたが、……今度船に乗れば、多分、もう要らんだろう――いえ、持っていて、なくしても詰らないですから、おばあさんにあげるんです。チットも遠慮はいりませんから――
百姓 ……名前は何と言いやす?
青年 自分は藤堂と言います。
百姓 おふくろさんはえ?
青年 ……母はフサと言いました。
百姓 おフサさんかえ……ふむ……(マジマジとケースを見ている)見たからず……なんぼう、そんなに大きくなったお前さまを、おフサさん、見たからず。……へえ、母親の気持なんてもんは、どこの母親でも、同じだ。……いくつになっても……もうへえ、死んじまってからだっても……子供が学校に初めてあがった頃、学校へ行く子を門口から見ていてやるからと言って、小さくなるまで見送った、その姿あ、忘れねえもんだ。……ハハ(と涙をこぼしている自分を軽く笑い消して)いただいときやんしょう。そんなわけの物なら、尚の事、大事にして。(掌の上のケースを額につけて、いただき、叮嚀に懐中へ)
青年 (頭を下げて)いやあ、そんなに大事にして下さらなくても、いいんですよ、ハハハハ……その代り――と言っちゃ、なんですが、お願いがあります。
百姓 あんだえ?
青年 この麦を少しばかり、下さい。
百姓 麦かえ? お安い御用だ、いくらでも持って行きなせ。さあさ、(こごんで両掌で麦粒をすくって出す)
青年 ……(ハンカチを出して、麦を受ける)
百姓 もっと――
青年 いえ、これでたくさんです。(叮嚀にハンカチをむすぶ)
百姓 それんばっち、どうしやす? 第一、このままで、食えはしねえが。
青年 いいんです。ハハハ、……船で今度ガダルカナル辺へ行ったら、こいつを出して見ようと思います。(胸のポケットに入れる)
百姓 ガダ、ガダルカ?(まだ言いにくそうである)あんだえ?
青年 ハハハハハ。……おばあさん、自分が歌を歌います。おばあさんの歌を聞かせて貰ったお礼に。
百姓 俺が歌――?
青年 いえ、先刻聞きました。約束ですから……下手ですが……(ニコニコしながら、草の上にアグラをかいて、上体を真直ぐに伸ばし、頭を昂然と上げ、両膝に両手をチャンと置いて、なにものとも知れず、正面はるかな所へ、キチンと一つ頭を下げる。しばらくそうしていてから、頭を上げるや、いきなり、器量一杯の声で歌い出す)
花の花とも、言うべき花は
わが日の本の桜花
散れよ朝陽に、匂いつつ(白頭山節)
百姓……(口を開けて聞きすましていたが)やれ、うめえもんだなあ! へえ、よ! なんつう歌だ、そりゃ!
青年 ハハハ、これ位しか歌えません。ハハ……それでは、もう時間が有りませんから、これで失礼します。どうか、おばあさん、お大事に。
百姓 やれまあ、そうかえ。……なんだか、へえ、おなごれ惜しいみてえだ……じゃあま、お前さまもお大事にな。
青年 (リュックサックの[#「リュックサックの」は底本では「リユックサックの」]口を締めながら)多分もう……この辺に来る事もないでしょうが、……おばあさんの事は忘れません。……それから道雄さんと言う人の事も憶えて置きます、……では、これで、……(靴のかがとを揃え、ピシッと不動の姿勢、帽子を脱いでキチンと頭を下げる)
百姓 (相手の様子にびっくりしている)
青年 ……(漸く頭を上げて)海軍中尉、藤堂正男と申します。……ありがとうございました。……(リュックを肩にピッケルを取る)
百姓 ……(それをジッと見守っていたが、やがて)お前さま、海軍さんかえ?
青年 はあ……いや……ハハハハ。では――
百姓 そうかえ! そりゃ、んだが……そんじゃ、ま、……ふむ……(何か言おうにも、急には、うまい言葉が出て来ないのに、相手は、もう、下手の小径へ歩き出している。それを追いかけるように、ヨタヨタと一二歩前へ行き、口をモガモガさせたり両手を上げたり下げたりしていたが、トッサにはどんな表現も有り得ようがなく、いきなり、その黒い大きな両掌を合せる)……へえ……じゃ、ま……よろしく頼みやす。
青年 (振返って、それを見て、テレて頭を掻きながら、ニコニコして)おばあさんも、よろしく頼みますよ。……
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